幻想小説 幻視世界の天使たち 第6話
ユースフはボイドの提案を受けてから四週間というもの、大学で講義がある時以外、研究室に来なくなった。その間、彼はウリグシクの地方都市に僅かに残るモンゴル帝国時代の遺跡や資料館を訪れ、ある現象のことが書かれた古文書などが現存していないか捜し歩いた。
ユースフは一つの仮説を持っていた。元寇に於けるモンゴル帝国軍の敗走は何か異次元のものと言っても良いような圧倒的な力を伴った自然現象が起こったためではないかと考えたのだった。その仮説は彼が九歳の頃、父親とともに出かけたハイキングで草原の牧場で遭遇した大型の竜巻の記憶に依るところが大きい。
その日は晴れていて風もやさしく吹いていたのだが、突然どこからか生臭い異臭が立ちこめ、それに続くほんの数分間で風は恐ろしく荒れ狂う竜巻状の暴風となり、まわりのものすべてを巻き込んだ。牧場で餌を食んでいた牛や馬などの動物、納屋や家畜小屋などの建物、トラックや大型の農機具などが大きな音と共に回転しながら舞い上がり、落ちてきた。そこに居た人間達もまた大きな手に捕まれたように、空に投げられた。ユースフと父親は大きな木の根元に必死にしがみついた。
近くで根こそぎ引き抜かれた大きなトチノキが倒れ、ハイキングの軽装をした外国人の大人と子供の上に倒れかかった。それを見るとユースフの父は二人のところまで這って行き、泣き叫んでいる子供を木の下から引き出した。次の瞬間、今度は木にしがみついているユースフに向かって大きな棒切れが幾つも飛んで来た。父は「あぶない」と大声を出したが、その声は竜巻の轟音に消された。父親は大急ぎで走って戻り、ジャンプしてユースフの身体に覆い被さった。棒がユースフの父親の頭部にぶつかった。竜巻はそれから十分後に何もなかったように収まった。父親は頭部に大けがを負い後遺症に悩まされた。そしてそれが原因となり、その五年後にこの世を去った。
ユースフはあの自然現象の発生を念頭において謎解きを始めた。彼には賞金の百万ドルを手にしたい理由があった。彼の九歳になる一人息子ジンが原因不明とされる病に冒され一年ほど前からウリグシク大学付属病院に入院しており、この病気の治療のために海外の先進医療機関で治療を受けさせることに一握の希望を持っているのだ。しかしそのためには治療費に加えもろもろの費用に大きな額の金が必要になる。加えて妻をすでに亡くしているユースフは大学を辞め、息子とともに海外で生活をすることになる。裕福でない家族に育ち、今も高額とは言えない大学の給料で生活しているユースフには息子に海外で治療を受けさせることはほとんど不可能だったのだ。しかし百万ドルがあればそれが可能になる。ボイドから話を持ちかけられてすぐにユースフの気持ちは固まった。
ボイドの提案を受けてから六週間後ユースフはモンゴル帝国軍の日本海での敗走についてボイドにプレゼンを行った。しかしその内容はボイドを少し落胆させるものであった。それは次の様なものであった。
モンゴル帝国軍が日本沿岸から撤退を余儀なくされた主因としてユースフが説明したのは、スーパーセルの発生であった。スーパーセルとは、回転する非常に強い上昇気流を起こす低気圧の空気の巨大な塊で、強い風をともなった激しい荒天をもたらす。それがモンゴル帝国軍の日本進撃時に博多湾付近で発生し、高麗船を沈めたというのだ。ユースフは実際に自分が子供の時にウリグシク高原で遭遇した人や動物、樹木さえも根こそぎ空中に吹き飛ばす竜巻の話をした。それまでの天候が穏やかなものであってもそれは突如発生する。そして一定の気象条件が揃えば、場所を問わず起こりうると説明した。
しかし、その説は日本で言い伝えられる所謂神風説を現代の気象学に基づいて説明しただけに過ぎないとボイドは考えた。そして何よりも問題なのは、ユースフには隠しているが、例えモンゴル帝国軍の撤退はスーパーセルが原因だとしても、その現象を最終兵器の創出に結び付けることができるかだ。
「問題は……」とボイドは言った。
「そのスーパーセルが実証できるかですな。私は、謎に対する仮説が具体的に再現できることを条件にしたと思うが、それはどのようにされるおつもりなのかな」
ユースフは答えた。
「ここに実験用のチューブを作り、十三世紀当時の日本の博多湾と同じ気象条件を作ります。その中に高麗船の模型を置き、スーパーセルを起こしてその威力を確認します」
「ということは、人工的にそのスーパーセルを発生させるということですか」
「そうです。その規模は小さなものになるでしょうけども」
「わかりました。実験をやってみてください。但し急いでください。そのような実験装置を作るとなると時間的にはあまり余裕がないと考えますので……。締め切り厳守はお忘れなきようお願いします」
「ありがとう。それでは、これから急いで実験装置を組み立て、ええっと、三週間後に実証実験をお目に掛けます」
それからユースフは殆ど研究室に泊まり込み、実験装置の作成に取り掛かった。歴史学が専門の彼には、実験装置の組み立てという工学的な知識やスキルは殆どなく、ウリグシク大学の理工系で唯一の友人である、台湾出身の電気工学博士ワンとその教え子の学生に助けられながら実験装置の設計、部品の調達、組み立てを進めた。
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