幻想小説 幻視世界の天使たち 第32話
警察でのワンの説明によれば、現在コンバイが独自に開発を進めているのは、ディスプレイからユーザーに幻視を起こさせる光を発生させるためのプログラムである。それはまさにユースフ達が研究しているウリグシクの伝承に登場する幻視を起こさせる銅鏡の光なのだ。
コンバイはこの光の成分を分析するためにこの伝承にある銅鏡をことごとくウリグシクの博物館や研究組織から持ち去っていた。そして最近オンライン・ゲームのユーザーを利用して、幻視を起こさせる実証実験を始めた。この実験は今のところすべて失敗しており、被験者にされたプレーヤー達は幻視を見たまま、現実世界に戻れなくなっている。
コンバイは分析を深めるために手に入る限り銅鏡を手に入れようとした。その一つが元寇の際日本に渡り、鎌倉の樹恩寺に所蔵されていることを突き止めた。
コンバイはワンからミカの大学時代の友人でコンバイへの協力を申し出た北悟志という人物にその銅鏡を手に入れさせ、それをコンバイに送るように仕向けることを命じた。ワンは北悟志がなぜコンバイに協力することになったのかは知らされていなかったが、自動翻訳プログラムとコンバイの開発した筆跡偽造ソフトを用いて、ミカの妹セナ宛てに北悟志にコンタクトするよう手紙を書いたということであった。
ワン教授逮捕の後、三人の日本の大学生たちはユースフとミカの住む家を訪れた。セナは仁、陵と共にミカとユースフの話を聞いた後、日本で起こった問題を説明した。そして仁の兄、北悟志がまさにコンバイの魔境の伝説の実証実験の餌食となったかのように幻視の世界に入ったまま帰らない状態にあることを話した。
ミカは悟志が現在、夢遊病で廃人のようになっていることに大きな衝撃をうけたようで、セナたちが悟志を救う方法がないかと相談するまでもなく、「何とかしなくては」と言うと考え込んでしまった。
ミカが何かを真剣に考え込むと、没頭して周りが何かを話しかけても聞こえなくなってしまうことをセナは知っているので、その晩は仁と陵とともに滞在先のホテルに帰ることにした。ユースフからはホテルを出てこちらに泊まるようにと申し出を受けたが、今日は大変な一日で旅の荷物も解いておらず、ともかくもホテルに戻って休息を取ることにした。
翌日、セナ達はミカから連絡を受け、ユースフとミカの勤め先であるウリグシク大学の史学科の研究室に出向いた。ミカから一晩かけ北悟志を救い出す方法を見つけ出したという連絡を受けたのだ。ミカは研究室のテーブル越しにセナ、仁、陵に話始めた。ミカの夫のユースフもミカと並んで同席した。ミカは三人に言った。
「悟志君を何とか安全に救い出す方法は今のところこれしか思いつかないわ。そしてこれを実行するにはあなた達にかなりの覚悟がいることになるけど良い?」
三人は黙っていたが。ミカが重ねて聞いた。
「良い?」
「俺は何でもオッケーですよ」と陵が答えた。
「僕も大丈夫です」と仁が答えた。セナは二人の様子を見て、ミカに頷いた。それではと言ってミカが話始めた。
「まず、今、悟志君の状態はコンバイからゲームの画面を通じて送られた特殊な光線を無意識に見続けたために起こったと思われるの。この光線はコンバイがウリグシクの伝承にある銅鏡からを発せられる赤い光を彼らなりに分析して、合成したものだと思われます。ウリグシクの伝承では幻視を起こさせる薬を飲んだ後に、銅鏡にゆらゆら揺れる光を反射させ、それを見ることで本人も気が付かないうちに、幻視が始まるけど、コンバイの魔境の伝説の幻視は人を無理やり錯乱させるような脳に激しい疲労を与えるようなものと言われているわ」
経験者の仁がその通りとばかり大きく頷いた。ミカが続けた
「コンバイはターゲットとする魔境の伝説のプレーヤーにこの幻視を起こさせる光を浴びさせるので、悟志君は仁君をターゲットにしていた幻視光を浴びたのだと思う」
セナが言葉を挟んだ。
「北先生は何故、そんなことをしたのかな」
「全然、分からないわ。昔から彼は謎の行動が多かったのよ」とミカが言った。
仁が黙ったまま少しむっとした顔になったので、ミカは急いで続けた。
「ウリグシクの伝承では銅鏡を使って幻視を見ている人を現実に引き戻すには方法が二つあるのよ。一つは青い光を放つ銅鏡からの光を受けること。この場合も蝋燭などの光を反射させると良いと言われている」
「あっ、それは俺が仁を引き戻す時に俺がやった方法だ。家の言い伝えにあった方法さ」と陵が言った。
「そう、そのやり方であれば、コンバイが魔境の伝説で送った光で幻視状態に入った人も戻すことが出来るようなの。そしてもう一つの方法は、幻視状態に入ってから間もなければ、例えば三十分位以内であれば、鏡の光を遮断することで現実に戻すことが出来るのよ」
今度は仁が言った。
「それは、最初に僕が部屋で幻視に入った時に、兄貴が僕を呼び起こしてくれた方法だ」
ミカが続けた。
「でもその時間を過ぎると銅鏡の青い光を使った方法でないと現実にはもどらない。これが今の悟志君の状態ね。だから……」ミカはそこで言葉を飲んだ。