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幻想小説 幻視世界の天使たち 第10話

ミカはロジャーに会った日の夜に送られて来たファルコンの研究資料に目を通し、また思い立ってミカの祖父が住職をしている鎌倉時代から続く寺に残されていた元寇についての古文書にも目を通した。それは祖父が現代語にしていたもので、ミカが鎌倉研究会での研究のネタとして借りて来たものであった。その古文書には次のような意味の記述があった。
「蒙古軍の兵士たちは、日本に渡った時の恐怖の体験が忘れられない。その日、日本の武士たちをさんざんに打ち破り、船に戻ってしばし休息を取っていた。その夜半に恐ろしげな大きな物音が船の中の皆に聞こえた。船の外では突如海が猛り狂い始めた。空は黒い雲で覆い尽くされ、鋭い雷光と雷鳴が船の上の者たちの目を射、耳をつんざいた。やがて巨大な僧侶の姿で、顔は口まで避けた魔物が海の中から現れ拳を振り上げ、船を手の甲で殴り始めると、船の腹に横に穴があいた。その魔物は船からずり落ちて来た者をわし掴みにすると、むさぼり喰った」
この恐ろしげな記述が何を意味するのか、正直言って本当のところは不明だが、ミカなりに一つの仮説を作った。その妥当性を探るためにキャンパスに北を呼んで意見を聞こうとしたのであった。
ミカの仮説は、今回入手した幾つかの文献に見られように大きな魔物がモンゴル帝国軍の船団が停泊する博多湾に現れ大暴れしたため、船が沈没あるいは、逃げ出したというものだ。しかしその魔物は、ファルコンが実験で実証しようとしたスーパーセルではなく、船乗りや兵士たちが服用した何かの薬剤の副作用により見た幻想なのだとミカは考えた。そして幻想に怯えた兵士や船乗りたちが操船を誤り、互いに衝突したり、自ら船を壊したりした。それが十万を超すモンゴル帝国軍内部で起こり一晩のうちに、大軍が博多湾から消えたのではないだろうか。この説明を聞いて北が言った。
「うーん。凄い推理だね」
「でしょ。でもちょっと無理がありそうね」
「そうだね。少なくとも二つはありそうだ」
「例えば?」
「まず、ミカ教授のその説に沿っていけば、モンゴル軍の兵士は魔物に襲われると言う集団催眠にかかったということになる。しかし複数の人間が同時に魔物に襲われるという催眠にかかるというのは考えにくい。もう一つは、そのような幻視を起こす薬物を、軍隊内で同時に服用するということはあり得ない。その他細かいところはあるが、根本的にこの二点に関しては説明が必要じゃないか。偶然にしても何らかの理由を述べる必要があると思う」
「うーん。さすが北、鋭い所をつくわね。正直言うと私もその辺は変だと思っていた」
悟志は少し目を丸くして言った。
「マジですか。何かあまり詰めていたようには思えないけど」
ミカは応えて言った。
「本当よ。それでは北助教に秋休みの宿題をあげるわね。その二つの課題についての回答を二日以内に私に提出ください」
「げっ、二日以内?文系と違って理科系は死ぬほどレポート書きがあるんだよ。バイトもあるし」
「だからさ、先にこれをとっと片付けちゃって。こっちのバイト代は二十万円だからね」
「二、二十万円?すげー。分かり申した。ミカ教授」北は慌てて、変な言葉づかいで返事をしながら立ち上がると言った。
「で、ミカはいくらもらえるの」
「内緒に決まっているでしょ」と言って怒るふりをした。実のところロジャーがミカに約束した協力のお礼は、ファルコンへの賞金の百分の一程度の百万円であった。ミカは、そのお金がもらえたら北へのバイト代二十万円を差し引いたお金でウリグシクのファルコンのもとに行ってみたいと考えていた。

ユースフは研究室のパソコンを睨んだまま、ぴくりともしなかった。あの無残な実験の失敗から二週間経ち、部屋はアクリル製の水槽で出来た実験チューブの残骸以外はきれいに片づけられていた。ユースフは一時的にせよ大学に無断で大量の電力を使う装置を据え付けたことで大学の管理部に文句を言われ、また専門とは直接は関係がない実験を行ったことで学長よりさんざんに叱責されて始末書を出す羽目になった。これではひょっとすると来年は教員の契約を打ち切られるかも知れない。日本の諺の弱り目に祟り目と言う状況にぴったりではないかとユースフは思った。

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