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幻想小説 幻視世界の天使たち 第36話

怪物の手が悠馬に掴み掛かりそうになるとふと我に返り、「あ、あの鏡が……」と言うと、慌てて片手を懐にやり、布製の袋を取り出した。その瞬間に再び大波で、舟が大きく揺れた。悠馬は「あっ」という声をあげ、袋を持っていた手で船べりを掴もうと手を大きく後ろに回した。その時思わず握っていた袋から手を放してしまった。袋は水浸しの船底をころころ転がり、舳先の近くまで行ってそこで止まった。袋の中からは手の平ほどの大きさの鈍く光るものが、半分出ていた。
―――仁は驚いた。これがあの銅鏡か。悠馬のドジ。しっかり鏡を握っていろよ―――
「やっ。しまった」悠馬は慌てて、片手を延ばしたが、指先が袋に触れるだけで掴めない。しかたなく船べりを掴んでいた手を放して体を前に進めようとしたが、次の大波が船を揺らし、悠馬はもんどりうって海の中に落ちて行った。
悠馬は深い海の中に体が沈んでいくのを感じた。激しい恐怖で、目を閉じたまま手足をばたつかせた。すると今度は体が、何者かによって水中から引き上げられ宙に浮くのを感じた。一瞬何が起こったか分からず、そのままの格好で身を縮こまらせていたが、やがて恐る恐る目を開けた。そして自らの体が巨大な手に掴まれ、海面から自分の身の丈の二、三倍の位置に持ち上げられていることに気が付いた。そして目の前には、鈍く光る大きな目玉がこちらを見据えているのが見えた。
その時、再び稲妻の閃光が暗闇を引き裂き、悠馬は目の前で自分を掴んでいる黒い袈裟をまとった巨人を見た。その顔は人間のものとほど遠い鬼のような形相であった。
「放せ」と言うと悠馬を掴んでいた巨人の手が急に緩み、悠馬は海中に落ちて行った。そして海の中で次第に意識が遠のいて行った。――――――

ユースフの研究室ではパソコンの前で目を見開いたまま意識がない仁をミカ夫妻、セナ、陵が囲んでいた。ユースフが言った。
「三十分経った。電源を切ろう」
ミカがデスクトップ・パソコンのディスプレイの電源を消した。皆が息をのんだ。仁の意識はすぐ戻るはずだ。三十秒経った。しかし仁は相変わらず、暗くなったディスプレイを見続けたままであった。一分経った。仁はそのままであった。ユースフが言った。
「だめだ。仁は戻ってこない」
それを聞いて陵が大きな声で言った。
「話がちがうじゃないですか。ユースフ先生」
ユースフがちょっと考えてから言った。
「仁は前の幻視の状態から銅鏡を使って現実に戻ったので、幻視の状態がより強固に維持されるようになったのかも知れない」
陵がすこし怒ったような顔になって、ミカとユースフの方を見て怒鳴った。
「そんな。それでは仁を戻す方法はもう銅鏡を見つけて持って来るしかないのだな。ミカさん、先生」
ユースフは少しうろたえって言った。
「そうなのだが、しかし仁が現実に戻れなくなったので、陵が幻視の世界に入ることにもかなりの危険があると思う」
「ユースフ先生は、いまさっき仁は何度も幻視の世界に入ったからこうなったって言ったじゃないですか。俺は、TVゲームは時々やるだけだから大丈夫じゃないですか。俺は行きますよ。止めないでくださいね」
ユースフはちらっとミカの方を見た。ミカは陵に向かって言った。
「誰も止めないわよ。陵君、ぜひお願いしたいわ。これしか方法はないと思います」
ミカはあっさり言うので陵は逆にすこし戸惑ったようだったが言った。
「そうですよね。あっ、行きます、行きます。行くに決まっているじゃないですか。何着ていこうかな」
皆、ぷっと吹き出した。ミカは陵に向き直って言った
「さて、陵君やるわよ。でも一つ気をつけて、もし、中で気分が悪くなったら、すぐに合図を送って。そうしたらすぐにモニターを切るから」
「あざーす」と稜は言うと、モニターの席に腰を下ろした。
ミカはセナに小声で「今、何ていったの」と聞いた。セナは笑って答えた。
「ありがとうございますよ」
魔境の伝説を再度動かそうとパソコンのキーボードを操作していたユースフがミカに言った「君でも分からない日本語があるんだ」ミカはにこっとして肩をすくめた。ユースフが言った。
「それでは。始めるよ」
陵がディスプレイを食い入るように眺めた。ディスプレイで一旦静止していたゲーム画面が再び動き出した。陵は次第に目の前がぼうっとしてやがて意識が遠のくのを感じた。


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