幻想小説 幻視世界の天使たち 第30話
ワンはまた少し考えこむ表情をしたが、また無言でタブレットを叩いた。
「そうですか。しかし私は彼らの居る場所を知らないのです。でも将来、ミカさんからコンタクトが有ったら、その資料を渡せるように預かりましょうか」
セナは顔をほころばせて言った
「そうしていただけたら大変ありがたいです。どうもありがとうございます。ここに一部コピーを持ってきました。これを預かってください」
タブレットから「承知しました」という声が聞こえた。セナは立ち上がるとワンに一礼をして言った。
「ありがとうございました。それでは私はこれで帰ります。ワン教授、またいつかお会いしましょう」
タブレットからも「また会いましょう」と声がした。セナは部屋から、気落ちした様子で出て行った。
二十分後、ワン教授は校舎から出て、校舎の脇の駐車スペースに停めてあった古い乗用車に乗り込むとキャンパスを後にした。セナは稜の待っていたタクシーに外から見られないように身を隠していたが、ワンの車が出て行くのを見届けると身体を起こし、ショルダーバックから小型のノートパソコンを取り出して、操作をすると稜に言った。
「うまく行ったわ。ワン教授は私の渡した資料を持って移動中よ。資料につけたクリップの発信器が作動している。それではこちらも出発しましょう」
セナがそう言うと、すっかりタクシーの運転手と仲良くなっている稜が、セナから受け取ったパソコンの地図画面を運転手に見せて、指で示しながら、一言二言片言の英語を言うと、
運転手はにやっと笑い、指を立てる仕草でOKと言うとタクシーを猛然と走らせ始めた。
ワン教授は大学からクシ市のクシ中心部のほうへ走り、ダウンタウンに入って行った。そしてその辺りでも中国出身者が多く住んでいる地区に到着し、一階が中華レストランとなっているビルの前で車を停めた。スラブ系の白人が多いここウリグシクでもこの地区はアジア系住民が多いため、中国人や日本人などアジア系の容姿であっても目立つことはない。この辺りをワン教授やミカが歩いていても見咎められることはあまりない。アジア人が身を隠す、もしくは閉じ込めておく場所としてはこの上無いのかも知れない。
ワン教授は入り口からレストランに入りそのまま中を通り過ぎて、建物の奥のエレベーターを使い地下まで降りた。エレベーターを降りるとすぐ前にある扉の前に立った。ドアの横の呼び鈴を三回押し、中から声がないことを確認すると言った。
「ワンです。開けてください」
ややあって、鉄製のドアが開いた。そこにはスラブ系の背の高い男性と東洋系の女性がいた。部屋は白い壁の広い部屋で二つのデスク、テーブルが置いてあり、部屋の奥には寝室と小さなキッチンがあった。ワンが口を開いた。
「ユースフ、ミカ、変わりは無かったかな」
ユースフと呼ばれた中年の学者然とした男が返事をした。
「こちらは何もないよ。ワン。しかし外出が出来ないと研究も進まないよ」
ミカも頷いた。ワンは少し疑うような顔をして聞いた。
「こちらから外部にコンタクトするようなことはしていないですね」
「もちろん、あなたがそう言うから、この数か月の間、外とは一切連絡を取っていないわよ。本当は研究を続けるには、少し欲しい資料が日本にあるのだけど」
ミカは少し不満げに答えた。ワンが言った
「そうですか。それを聞いて安心しましたが、また急いで引っ越しする必要がありそうなのです。例の組織がこの場所を嗅ぎ付けたようなのです」
ミカがうんざりしたような顔になって言った。
「またですか。ワン教授」
「申し訳ないのですが、今すぐにでも移動する必要がありそうなのです。今にも奴らがここに来るかもしれません」
ユースフが言った
「今すぐ?」
ワンが答えた
「今すぐです。先ほども私に奴らからコンタクトがあって、お二人の行く先をしつこく聞かれたのです。ここの場所を嗅ぎ付けられるのも時間の問題だと思います」
その時、入口のドアをノックする音が聞こえた。三人は黙ったまま、お互いに顔を見合わせた。やがてドアの外から声が聞こえた。
「お届け物です」
その声に対応しようとしたミカを手で制して、ワンが「隠れていてください。私が出ます」と言うとドアを開けると、サングラスにシャツ姿の男が「ワン・ハオ・ランさんにお届けものです。どこにおきましょうか」と言って、自分の後ろに置いたトランク二つを指さした。「誰からだ」とワン教授が言うと、男が手に持った紙を持ち上げて、目を近づけて読んだ。「セナ・シノハラ」