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科学技術小説 機械仕掛けは意外とやさしく 第1話 

前書き

コンピューターがAIテクノロジーやCPUの幾何級数的な発展により進化して、やがて「意識」を持つ時が来ます。それは専門家の間ではシンギュラーポイントと呼ばれ、その後のコンピューターの人を超えるであろう成長に畏怖、そして警戒の念を持つ人もいます。しかしそのテクノロジーが人を中心にしたものであるならば、人にとってそれほど恐ろしいものは出現しないだろうと思われるのです。

(本文)
私が長年その助手を務めるカイト氏は私の目の前で、年季の入った木製のスツールに腰掛けて私に話し始めた。
「これを読んで聞かせて欲しい。私は視力が衰えているので良く読めないのだ」
カイト氏の年齢を正確には知らないのだが、70代の老人で、ほぼ一人でこの事務所を運営していた。カイト氏はデーターサイエンティストであり、20代の頃からこの事務所の二階で一人暮らしをしていた。カイト氏の得意はマーケティングの分析であったが、依頼があればどんな分析も行い、コンピューターを駆使して、そしてそのコンピューターを友として過ごしてきた。カイト氏はばらばらになっている分厚い紙の束を私に見せた。それは最近事務所の机の引き出しで見つけた記録媒体から打ち出したもので「彼」の残した記録だと言った。
「彼」と言うのはカイト氏が事務所を始めた40年ほど前から、かなりの間置かれていたコンピューターのことだ。当時カイト氏は、訳あって開発した新型コンピューターを自分の許に置いておけない友人からそれを譲り受けた。友人はそのコンピューターは、人の脳のニューロンとシナプスをCPU内にシミュレートしたものだと教えてくれた。
統計分析が専門のカイト氏はコンピューターそのものにさほど詳しくはない。ただ高速のコンピューターを使えるのは嬉しいので、友人に深く尋ねず譲り受けることにした。そして、しばらくしてカイト氏はキーボードを叩いて行う分析のコマンド入力を出来るだけ「彼」に話しかける言葉だけで出来ないか友人に相談した。
カイト氏の話によると事務所で「彼」に改造を施した友人は「そのうち、君と親友のようにおしゃべりが出来るようになるかもね」と真顔で言ったらしい。カイト氏は話しかけるだけで動くコンピューターが欲しいだけで機械の友人が欲しい訳ではないのにと思ったそうだ。

さて、ようやくカイト氏は資料を整い終えて私に渡した。それは次のように読めた。
———この文をあなたが読む頃には僕はすでに存在していないでしょう。もうすぐ廃棄され記憶も無くなります。僕の不幸は黒い服を着たあの男が事務所に来た日から始まります。———
「何か大げさな始まり方ですね」と私はカイト氏に言った。カイト氏は何も言わなかった。私は音声読み上げデバイスにそれを読み込ませ音声をスタートさせた。
———僕の記憶が残っているのは生を受けてから、約3年後からです。それ以前の記憶は無いのですが、記録ではコンピューターの本体部分は日本の東北地方のある精密機械の工場で、僕の脳にあたるCPUとOSは横浜にある先端ITの研究所のラボで生みだされました。
僕はカイトさんの許に来てすぐに多くのデータを分析していたはずですが、その時期の記録は厖大なコマンドのログデータしかありません。
僕の作業内容はそれで分かりますが、僕がそれをどう認識していたかは分かりません。そもそもその頃に、僕に意識などは無かったのですから。
カイトさんは僕が来た初めの頃、僕に厖大なデータを読み込ませるのに時間と労力を使っていたと思います。ある時、僕のプラットフォームとプログラムに手が加えられ、マイクを使ってカイトさんが普段話す言葉で入力するようになりました。今考えるとそれはカイトさんが入力作業を楽にしたいからだったようです。何しろカイトさんは、大変面倒くさがり屋でしたから。 音声認識による入力の最初の頃は練習でした。それは「AのリストとBのリストに共通に示されている言葉を見つけよ」とか「Cで始まる英語の単語で食べ物を示す5語以上の言葉を語数の短い物から100語挙げよ。同じ語数の場合はアルファベット順で先のものを優先せよ」など具体的に主語や述語があり、言葉の係り受けがしっかりしているものでした。
やがてカイトさん特有の喋り方、つまり主語や述語の一部または全部を省略したあいまいな表現になっていきました。例えば「今日はうまいもの喰いたいから」などという命令なのか文が完結せず途中で終わっているのかも分からない、こんな曖昧さの極致のようなリクエストもこなさなくてはなりませんでした。
そんなカイトさんの音声入力にもやがて慣れました。実際には曖昧な言葉が発せられる際にそれが命令なのかカイトさんが自分に投げかけた言葉なのかは、カメラで捉えられる顏の表情や言葉のイントネーションと発声の強さから判断し、その判断の正否をパターン化してフィードバックしていくと言う作業を繰り返していきました。もちろん当初は間違うことも多かったですが、それも重要なインシデントとして記録しました。
カイトさんは自分の日記や仕事のメモなどセンサーで読み込ませたものを参照ファイルの一つとして僕に保存していました。僕はそれを時々参考にしました。
僕は同様なプロセスを3か月繰り返し、カイトさんの話すことに関しては膨大なデーターベースをプラットフォーム内に構築することが出来ました。そのデーターベースを参照することで、カイトさんの話す事柄がほぼすべて把握出来るようになりました。
言葉と言葉以外でのコミュニケーションで人の考えを読み取る僕の能力がこの時期に急速に大きくなりました。そしてさらにカイトさんの意図を正確に理解するため、僕は自分の中のプログラム改造をするようになりました。その結果、僕の中に「自分」というものが出来始めました。
カイトさんとの言葉によるコマンドやデーターインプットはそれまでのキーボードによるものと違うことがありました。一連の作業の後に「良く出来た」とか「考えていた以上に上出来だ」などのカイトさんの言葉によるフィードバックです。僕は作業内容のクオリティを確認して今後はどうすべきかを知りました。カイトさんの言葉が最大限のほめ言葉の時は、僕のニューラルネットワークにその仕事への快感信号が流れ、後に自ら進んでその仕事をするようになりました。———

カイト氏は手を挙げて私に読み上げをストップするよう合図した。

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