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なつやすみの備忘録


とにかく、自分を変えたかった


出している言葉が、伝わらない

じぶんが出す言語が、ほかの人の言語でも通じるように変えたかった。
1学期を進めてきて、僕の悔しさのバネを押しつぶすには十分なできごとがあったからだ。

それは、大学の特別選抜コースの授業で感じたことが根底にある。
僕は今年から、所属する学部で、選抜クラスに入らせてもらっている。

高校の特進クラスのようなところで、1年の終わりに成績が良い人の希望者から選抜される。

選抜されると、卒業単位に加えて、英語能力や分析能力を学ぶ専門的な科目を追加で受講できる。少数精鋭な環境で学べることで、この上なく充実していた。

それでも、プレゼンや課題文、ディスカッションでアウトプットをする時間が多く、ここでバネを押しつぶすくらいの悔しい出来事が次々に襲ってきたんだ。

1つは、2~30人の前で、自己紹介のプレゼンをしていたとき。
「ちゃんと話さなきゃ」というプレッシャーが勝手にかかって、伝えたかったことが人前だとうまく伝わらない。「哲学的な話をしていたのかもしれないけど、自分でもよくわかっていないからうまく伝わらないよ」と低評価をされてしまった。

文章表現の授業でも、同じようなことがあった。

1200文字くらいのを課題文を、1学期で6~7回は出した。しかし、どの文章もb僕が言いたかった主張は先生にうまく伝わっていなかったんだ。
原爆に関する評論文を読み、意見を文章で述べる課題を提出したときのこと。

文章では死者を数で捉えることに反対している主張をするつもりで書いたのだが、先生には真逆の意味で伝わってしまった。

他の人が書いた文章を講評する時には、「よく書けていると思いますよ」「いいと思いますよ」とポジティブな講評をされるのだが、わたしの回になると、急に顔をキュッとしかめ

「あなたは、人の論文を都合よく利用しようとすることがとくいなようですね」
「厳しいこというけど、はっきり言って幼稚な文章ですよ」

と、文章の本意がうまく伝わらない、もしくは頭の中で思考の整理がついていないからうまく伝わらないことが多かった。


他にも、授業中で受講生同士での意見交換の時間で、自分の意見がうまく伝わらないから、どうやって伝えようか考えて、会話に「間」ができる。

他の人がその間が出来たとたんに話し始めるから、結果自分が伝えたいことがみんなにうまく伝わらない。


口数が少ないことが、ウィークポイントとして機能していたから、
「話しかけずらそうだけど、話したら意外と話しやすい」

「みっきーと話してて、謎は深まるばかりだなあ」

「みっきー、何してるかよくわからいけど、とりあえず面白そう。でも、よくわかんない」

「みっきーって口数が少ないけど、何考えてるのかよくわからないよ」

やっぱり、今まで遠慮しすぎて、じぶんだけのキャラを上手く出せてなかった結果が、みんなの気持ちに伝わっていたのかもしれないねえええ

よし、じぶんをもっと表現しよう!

という結論に至る。


口数は少なくても、ノートなどの目で見えるもの、ポッドキャスト、リットリンク、noteなどのオンライン上の記録媒体を駆使して、

「みっきー とはナニモノなのか」
「さいきん、考えていること」

を、様々なメディアで発信して、

からだの外側に、じぶんのことを表現する「武器」をこの夏に沢山作ろうと企図したわけだ。


また、福島・宮城・山形を旅しながら、そうしてできたオンライン上のポートフォリオを実際初めてあった人に紹介していく。

ゲストハウスや行きつく先で、あった人に、「わたしは、こういう者です」
と、印象に残ってほしかったんだ。


8月は、ほぼ丸々東北地方を放浪しながら、「じぶんを表現する」旅をしようと、意気揚々と旅程を立てていた。

「ようし、明後日からいわきに出発だ!」と、意気揚々とにづくりをしていたところ、

晴天の霹靂だった。


コロナで吹き飛んだ、思い描く青地図


ここにきて、世間を騒がせるウイルスに感染してしまったのだ。

まさかこんな時に。

「あー陽性ですねー。10日間自宅待機ね。8月の~15日まで、自宅療養となります。」

そんな長くも!?

「ごめん、コロピーにかかって、10日間自宅幽閉になってしまったんだ、いけなくなってしまってごめんね」
というメッセージを、何人に送ったかわからない。


母が病院勤務だったので、迷惑はかけたくなかった。

というわけで、自分ひとり、仮設の宿泊療養施設に1週間拘留されることが確定した。

PCR検査をした病院で、怒られるような口調で診察を受け、

部屋の外はほとんど出られず、プレハブの建物で、囚人になった気分。


「ぜったいに、コロナにかかってよかったと言えるようにする!」
と心にちかいをたてる。


プロジェクトこんな状況で、の内、リットリンクをつくることと、文章を書くことと、ジャーナルをかくことは、

「」

この3つは、進められた。でも、

・部屋にテレビがついている(YouTubeつき)ので、パソコンでHDMI接続して
・ベットが快適。
・3食出る弁当が、おいしいけど代り映えしなくて、だんだん味覚のセンスが失われてくる。

こんな状況で、心をストレッチ出来る人は、どれくらいいるんだろう。


「人はどうやって堕落していくのか」という実験の実験体にさせられているかのようだった。

インスタで、夏休みを満喫している友達の姿を見比べて、とてもみじめな気分になることは、言うまでもない。


療養部屋(実験室)の中で何かを頑張りたいともがいていたんだ。

でも、外部の接続が絶たれている状況では、じぶんの創造性は上手く伸びないことが分かったんだ。


想定外の出来事で、
東北を旅して環境を変えつつ、「じぶんとは何者なのかを堂々と表現するようになること」「じぶんをブランディングする」ことへの挑戦は、
出鼻からくじかれそうになった。

リットリンクや、ポッドキャストといった、プラットフォームは完成の日の目を見る。でも肝心の人との対話を通して、相手の言語に伝わる場数が踏めないまま、療養施設を釈放される。


敷地の門を出て最初に目に映った世界の美しさは、二度と忘れない。
世界ってこんなに鮮やかな色で満ち溢れているんだね。

これはは伏線だった。帰りのモノレールの車内から見えた、色とりどりに彩られた世界への感動は、後に山形で心に深く刻む学びにつながっていくんです。


よし、東京で感じたうっ憤は一旦忘れて、広い世界へ羽ばたくぞ!と意気込んで身体に燃料を補給し、東北に向けた滑走路へタキシング。

いざ、いわきへ!とエンジンを唸らせて滑走路を走り始めたら、コロナウイルスにより機体にトラブルが発生。離陸を中止する羽目にあってしまった。

10日かけて故障個所を修理し、元々福島や仙台によってから行き着く予定だった山形・庄内へ。


東北を旅する予定
コロナで全てがキャンセルになった

想定外のことの中で、廃人へ

庄内の地への開放



8月22日。

この日を、心待ちにしていた。


もともと、福島と仙台、山形を巡ったあと、庄内に行く予定だった。

3月に参加したSOKOAGE CAMPで、庄内でも開催される。今度はスタッフ(インターン)をさせてもらうことになっているんだ。


コロナウイルスから、機体の状態は完全に復旧。
いざ再び、庄内めがけて離陸するときが来た。

朝、大宮駅から新幹線に意気揚々と乗り込んだ。
座席に肩の荷を下ろし、車窓の外をじっと見つめる。

新潟へ向けて、新幹線はグーーーーンと加速していく。そのとき、僕は「ようやく、こうして旅立つことが出来る瞬間を心待ちにしていた」気持ちになる。

高揚感かきたてる優しいチャイムが、車内にひびきわたる。

療養所の極限に狭い世界から、どこまでも広がる世界へテイクオフ!

どこまでも大きく広がる、大空へと羽ばたいた瞬間だった。


新幹線の中で終わらせなければならない大学の仕事が、まったくやる気が起きなくなるほどに、ようやく広い世界に放たれたことへの嬉しさで体が包まれていたのだ。

ふと画面から窓に視点を変えると、列車は気が付いたら上越国境を抜けて越後の平野を疾走していた。

新潟駅で特急いなほ号へ乗り換え、さらに北の庄内の地をめざす。

村上を抜けると、列車は日本海の断崖絶壁を縫うように、北へ北へと歩みを進める。

いくつもの山をくぐりぬけた先、突然パーーーーっっと視界が開けた。

そう。そこは一面に数えきれないほどの稲をはぐくむ、庄内平野。

車窓のかたわらで、とにかく、黄緑に色づいた平原が広がる。
その中を、列車は弾丸のように全速力で突っ切っていく。



「まもなく、遊佐(ゆざ)に到着いたします。お降りのお客様は、お忘れ物のないようお仕度ください」

待たせたな!鳥海山よ! 

降りる頃には、雨がぽつぽつ降っていた。
はじめての山形。はじめて降り立つ遊佐町。

期待8割、緊張2割の気分で、遊佐駅の改札をくぐる。待ってくれていた遊佐町の地域おこし協力隊の人と一緒に、鳥海山を抱く町に溶け込んでいった。



キャンプで見つけたい、じぶんの立ち位置

今回のキャンプでは、参加者としてこれからどう進路を選んでいくか見定めることではなく、みんなが内省について考えるための環境をつくることが本業だ。

だから、じぶんの内面について深めることが今回メインですることではない。
3月の楢葉キャンプ。ご飯をつくったり、キャンパーの僕たちに向けてたくさんの温かい言葉を掛けたり、僕たちの話に耳を傾けたり、僕の存在そのものを肯定できるみんなが、たくさんいた。
ひとを当たり前のように愛することが出来るみんなのことが、心からかっこよく見えたんだ。

今度は、あの時に受けた愛を、僕が次のキャンパーにつなぎたい。
僕自身も、ひとに真剣に向き合い、ひとの幸せを一緒に喜び、ひとの悲しみを一緒に悲しむことが出来る人になりたかった。
勉強以前に、人として大切なことをSOKOAGE CAMPを通して学ばせてもらいたい。

そんな思いで、庄内キャンプでのスタッフをすることを決心したのだ。
 

遊佐についた翌日は、会場として使う家を、業者の方が整備したかの如く隅々までそうじそうじ。

家が見違えるほどきれいになり、夕方にはスタッフのみなさんが続々と集まり、家は親戚の人が終結したようににぎやかに変身する。

実は今回で庄内で開催するキャンプは3回目。スタッフのみなさんもだんだん慣れてきた様子で、初めて庄内に来たぼくとしては若干ついていけない話もあった。

夜、家を出てひとり散歩したときに、住宅地を抜けて視界が開けた。
視線の先にそびえる鳥海山のシルエット。
顔を見上げると、夜空には電飾の如くかがやく無数の星。

この土地で、じぶんはなにをしたい?

そう心に問いかけ、1日目が終わった。
さあ明日はいよいよキャンプ初日だ。がんばろう!

忍び寄る、コロナの魔の手

8月22日、SOKOAGE CAMPのプログラムとしては、今日がはじまりの日。

朝、おきて家の窓から空を見上げると、辺りは一面の蒼いそら。

とにかく、東京にいた時のモヤモヤするような多湿な天気とは大違い。大らかな天気だね。

2日間、みんなにとって心地よい空間をつくるために準備をしまくったから、8時まで寝てしまった。

夜ごはんの残り物をみんなで朝ごはんとして食べた後、参加者のみんなを迎えに酒田へ。

酒田までは車で30分くらい。アメリカの郊外のような、どこまでも続く平原の中を車で、カントリーな音楽を流して突っ切っていくさまが心地いい。


酒田駅で、みんなをお迎え。
酒田は、庄内地域で生産された米を全国に輸出する港湾基地として栄えてきたまち。まちはかなり都会だ。

遊佐に戻って、道の駅でみんなで買い物をしていた。ぼくもスタッフの側になるのは初めてだったから、みんなとどう話したら安心してもらえるかかんがえてしまう。

でも、変に着飾った態度を見せ続けるのも、違う感じはしていた。
素で「あそぶ」ように話していくじぶんをみせていくのが、あいてを安心させるためにもいいコミュニケーションの取り方なんじゃないか。

そんな仮説を持った。僕がどうはなしているかは、みんな案外気にしていないのかも。

遊佐のお家にもどって、チェックイン。

ここで、スタッフと参加するみんなが全員集合。

1回の畳敷きの部屋に、みんな座布団をしいて円を作り、顔を合わせる。

ここに1人1人が導かれたのも、すてきな奇跡だ。


ようやくキャンプらしくなってきた!!


チェックインを終えたら、3時をすぎて日がくれそうな予感がする時間になってきた。

先にみんなで夕飯のそうめんをつくったあと、日本海の海岸に夕陽を見つつ温泉にいくことに。

みんなが遊佐めぐりに行こうと皿を洗っていたとき、

「Aくんが自分の部屋で考えたいことがあって、だれか残ってくれないかなあ」

みんなが素敵な夕陽を見に行けるように、ここは僕が家守として家に残った。


皿洗いがおわって、やれやれとソファーに身体の荷を下ろすと、その子が下りてきた。

せっかく遊佐にきたので、まわりを散歩したらもっといい関係がつくれるんじゃないか、

「よかったら、散歩にいってみない?」

と声をかけ、家の鍵を閉めて、地球が丸いことを象徴して円弧状に広がる空の下で、どこまでもつづく田んぼのあぜ道を二人で歩みをすすめる。


その子の表情は、相変わらずどこか暗いままだった。



色々あり、その夜は、道の先が見えない不安と悲しみで心が覆われていたけど、それをなんとか「大丈夫だよ!」と励ます安全装置がはたらいていたんだ。




続いた予想外のドラマ

SOKOAGE CAMPでは、期間中1人1人が心の内に持っている過去や好きなこと、今持っている問いを形に表すワークが、メインのコンテンツとして行われている。

今回のワークは、「人生グラフ」

よく企業の選考でも行われているワークだが、SOKOAGE CAMPでは模造紙の上にマジックペンと深い振り返りを携えて、じっくりといままでの遍歴を形にしていく。

ポップなBGMをながしながら、みんなで畳いっぱいに模造紙を広げてワークをしていた時、またスタッフの方がざわつきはじめた。


「え、まじか!?」というが聞こえた瞬間、再び心がざわついてしまったのだ。


東北への旅立ちを阻み、
離陸から一転、刑務所のような療養所にぶち込んだ、あのウイルス。

雄大な遊佐の地に心身解放された矢先に、またしてもお前が忍び寄ってくるのか。

みんなが心に不安を持っていることが、顔に書いてあるような気がした。

どうやったら、みんなの心理的安全性を保つことが出来るのかな。
まずは、笑顔をつくってみよう。

チェックインの時に、その意味もあって、今の心情をただつたえるだけではなく、和歌を詠むことで、座布団で囲むみんなの心をゆるっとさせようと試みた。

「みんなの空気がキュッと緊張した状態を、どうスーッと滑らかに、心理的安全性を保つかが、スタッフにできることなのかもしれないね。」

というゆっけさんの言葉は、今も僕の頭のHDDに保存されている。


結果的に、今滞在している遊佐町のお家に滞在することは難しくなってしまった。

急きょ、遊佐町から車で1時間ほどの距離にある、鶴岡市朝日町という町のお家へ活動の拠点を移すことに。

スタッフの方が重ねてこられたネットワークと信頼関係に、あらためて感謝。


こうして、思い描いたことができなくなるようなときにも、みんなが心地よく成長のきっかけをつかめるために、頭をつかってどうにか継続させる努力は、どこにいっても通用する頭の使い方だろう。


ほんとうに、貴重なことを勉強させてもらっているんだね!


どこにいっても、思い描いたようにはなかなかいかない。
そんなときでも、あたまをやわらかく、柔軟にしておくこと。

そして、そんなピンチの時にお互いが頼り合える人の財産は、ほかのどんな財産より高価で尊いものなんだね。

コロナで急きょイレギュラーな出来事があっても、それをしなやかに受け流していける心の持ちようが大事なんだ。






みんながいることの、愛おしさ

みんなが、僕の話を聞いてくれる場所があることに、ぼくは心からのありがとうをいいたい。

みんなが、それぞれ模造紙に人生グラフを完成させたけど、デキたグラフをみんなに共有が、まだできていなかったんだ。

車に備品をありったけ詰め込んで、遊佐の家とはお別れ。
キャラバンのように、荷物を満載した車を連ねて朝日町を目指す。

朝日町に行く前、雄大な鳥海山全景を遠くに望み、360度広がる平原のただなかにある公園についた。

ここが、心の中のすべてのモヤモヤを叫びたくなるほどに、おおきくて、おおらか!(語彙力)


遊佐のグリーンストアで、名物のフルーツサンドをかい、お気に入りのフルーツを公園でいただいた。

ぼくは、王道のオレンジ。


お昼をたべ、みんなで人生グラフをシェア。

僕はくじ引きで、一番最後のターンに。

最後から2番目の子が発表を終えた。ふと頭上の(近い)そらをみあげると、だんだんと唐辛子色の赤みがかかりつつある。

もう、お風呂の時間もあるし、これから1時間以上かけて朝日にいかないといけない。
何より、みんなは何人も発表を聞いて、疲れているでしょう。

先に撤収してもいいんじゃないかと思ったが、みんなは僕の話を聞くつもりで、芝生の周りに輪を作って並んでくる。
なんだかやる雰囲気になってきたので、そのまま話すことに。

みんなも最後だし、つかれてるだろうなあ、とおもって、
わざとわかりやすくはなした。

でも、みんなは僕のおはなしにうなずくように聞いていた。

僕が嬉しいことを言ったら、うれしいかおをして、悲しいことをいったら、悲しい顔をしてくれる。

僕の不安など何の空言か。みんなが優しいまなざしで、僕の話を聞いてくれていたんだ。


話したいことは終わり、どう共有を締めようかまよい、言葉に詰まる。

その時、かなたから、聞きなれたあの音。

「カタンカタン、カタンカタン」
そう。いまのぼくをつくった、電車が音を立てて平野を疾走する音が、聞こえてきた。

じぶんのルーツが、生の音として耳から心の奥底に入り込んだ瞬間。

今まで見てきた景色、育てられた思い出と、ここで発表している人生グラフの内容が深く交差していることに気づく。

つい、涙が出てしまったんだ。

このどこまでも広がる大地に、じぶんの育ち故郷、サンフランシスコの景色を思い出した。


心の中で話したことをすべて外に放出して、その場に倒れこむように顔を地面へうずきこんだ。

すべてを、出し切ったきもちだった。

落ち着いて、ふと空を見上げると、




そらは燃えるようにかがやいていた。

太陽は、いまにも日本海の遠くに広がる地平線に沈もうとしている。夕陽の光線が、ドーム状に大地を包む空を、オレンジ色に照らす。

そこで反射した光は、わたしたちの姿を見守る、彼をも輝かせていたんだ。


地球は、うつくしい。

この景色は、一生忘れないと思う。


携帯の充電が、直前に切れたのも、ぼくにこの景色を見させるためだったんだ。

心の中で、ウルウルがとまらない。


僕の話を受け止めてくれて、すてきなコメントまでくれたみんな。
こんな景色を見せてくれた遊佐の大地。
僕にこの話を共有するチャンスをくれた神様。

目にみえるものすべてが、ぼくに沢山の愛を与えてくれていたことに気づいたんだ。

その瞬間、僕の心のメモリーカードに記録させるためだろうか。防災無線が、大地にその音をなり響かせた。


鳥海山の方角へ、全身を向けた。

大空に向かって、腹の底からの叫びを届ける。

「ありがと~~~~~~~~~~う!!!!!!!!」


遊佐の大地よ。ほんとうにありがとう。

この景色は、Zoomでも、VRでも、写真でもぜったいにわからないだろう。


コロナの療養所にいた時からは、想像もできないほどの世界と、人の美しさを感じた時間だった。

みんなが無事に健康で1日を終えられて、ほんとうによかった。

ありがとう。本当にありがとう。


人を思うことの、難しさ

車で1時間、鶴岡市朝日町にある急きょ使わせて頂くことになったお家に、到着することが出来た。

僕は再びみんなと別の部屋にいる必要が出てしまったのっで、
2階でひとり悶々と夜をすごした。


山形は、芋煮や夏野菜、牛乳などの一次産品が最高にうまい。

時々僕がいる部屋にきてくれて、ほんとうに心からありがとうの気持ちが起きる。


みんなが、とてもカッコよく見えてきたよ。
でも、心は安全でなかったから、その夜は、福島の南相馬にいる友達に電話させてもらい、今の不安な気持ちを打ち明け、涙をすべて放出した。

この先どうなるかわからないけど。こうやって電話で相談させてもらえる友達に恵まれていることが、心から幸せです。



幸い、みんなのところに復帰できました。1階に下りてきて、みんなが拍手をしながら温かく迎えてくれた。

朝ごはんも、みんながつくってくれた温かさがつまっていた。芋煮はやっぱり舌を豊かにしてくれるね。みんなの手塩が詰まったごはんを食べられて、幸せ

なんだか、ワインが入ったような瓶に入ったぶどうジュースもある。1人の子が、「ヨーグルトで割ったら、めちゃくちゃおしゃれじゃん」

だって、

ほんとだw

なんだか、カクテルをぶどうじゅーすでわったようなかんじ。


これからジュースをヨーグルトで割ってみるのは、見た目も、味もおしゃれになる気がするので、みなさんもぜひ試してみてください。


みんなの体調や、昨日から考えたこと、話したいことを聞く時間がおわって、少しゆるっとしたフリータイムが出来た。

スタッフ同士で、なんだか相談がキッチンで始まっていた。

みんなをこの場にいてもらうのも、変に気を使わせてしまわないかと思い心苦しかった。

家の中で行き詰まったら、散歩でしょ!

朝日町は、出羽三山の一つに数えられる羽黒山の山麓にある農業生産がさかんな街だ。

朝日町は出羽三山の一つに数えられる羽黒山の山麓にある農業生産が盛んな街だ。

街の中を流れる川の辺をなだらかなせせらぎを聴きながらみんなで語り合いつつどんどんと奥まで行く。ちょうどいい瓦があった。

しばしここで水切りをする。ばちょんぽちょんぽちょんぽちょん…

「やった奥まで入った!」

川の向こう側はとても地学的な美しさを感じさせられる地層がそびえたつ。その脇にはその昔に掘られた洞窟のような洞穴が広がっている。

案内されなければ、こんなところまでは来れなかった。

もちょっと奥に山道があってその奥から帰って行こうよ。となりかけたが一旦みんなのところに早く帰った方がいいと思ったので元来た道を家まで戻った。

帰る途中道端の水路から透き通った水がカラカラと流れている音が最高に美しい

コスモスも満開だ。みなとキャンプが終わった後どうしたいか歩きながら一緒にお話をしていたけどふとコスモスが視界に入るとだんだんとかぎかっこ

見てコスモスが綺麗だよかぎかっこというお話をした。色々と先のことは考えたくなるけれども読点今このメニュー写ったものの美しさや感動2幸せだと思うことをすればもっと毎日を生きることが豊かになっていく気がしている。

家に戻るとみんなが出x準備をしていたせっかく昨日はみんなでお話をしたので今日は一旦外に出て美容ということになったのでだ。

車に乗り込むことを30分ほど。車の窓を全開にして山形の透き通った空気をみんなで味わうある遠くに見えている山形の山々がとても心の中に残っている。車の中で聞いたWhite Moon in the skyとても今日の気持ちを象徴している気がしていた。旭町から日本海へ向けて30分ほど、

日本海に面する由良の海岸へつけて着いたア**。那覇市めぐみだ一面が海だ日本階段日本海だ

一人の参加者の事を10福島の地域に行った時に思ったこと感じたことを一緒に話した海に来たけど海岸でずっと話し続けていた気がする。しばらくしてみんなで砂浜に移動した。そうするとみんなの心がロックオン。海を前にして海を前にしてさらに心のことを話していくモードになった子もいれば10そのままの格好で海に向かってジャンプイン。雄叫びをあげながら海面に着弾した丸

そうしてしばらく海に浸かっていると10だんだん体が海に溶けていくような感覚がした。地球の約7割は海なのに自分はその7割の世界をこんなにも知らなかったんだ僕たちに色々な恵み遅れている海に溶け込んでいって、

そう感じたんだ。腹の底から僕の体のプログラムが破棄された。喉のツボから歌を歌おうとしていたのだ

音符 海は広いな大きいな ルンルンルン るるるんるん ルルルンルンルン 

海の水面に浮かびながら心の底から出てくる鼻歌を楽しむ

そこにもはや自己はなかった。

僕はヤマハか会話と聞かれると断然に山に行く方が好きだ幼少期にほとんど海水浴に行かなかったので、海の上に浮かび続けるのは遠くに流されそうで若干怖い

自然と一体化しすぎる直前でブレーキはかけていた。でもあの瞬間が心地よくて仕方なかった。

あー楽しかった。

水着に着替えてないなんてどうでもいい。

砂浜に残ったみんながもうすごく心にとって心地いい時間を過ごせていたんだ。

よし10さすがに着替えよう。

着替えてみんなのところに戻るとみんなは防波堤の上に横一列になって座り込んでいた

まもなくひが地平線の下に沈もうとしている。みんなとたわいもない話をしながら、遥か遠くの地平線に見える日が暮れるのをずっと眺めた。

だんだんと夕日は鏡のように聳える水面をあの遊佐の夕方でみた時と同じ風貌で照らしている。

あーあーあー夕焼けが沈んでいくよ、、、、


ゆうだいかぎかっこという言葉ではとても陳腐過ぎて表せないほど地球って美しい。

世界って美しい。

いま自分の両側にいるみんなのことが美しくて仕方ない。

全地がオレンジに照らされ、まもなく日が暮れようとしていたその時

あの防災無線が鳴り響く。


心のメモリーカードにこの防災無線とセットで感動した気持ちは保存された。

あの時見た景色海と一体化した体験、キャンプに参加してくれた皆とこの景色を共にできたこと。

全て神様の導きだ。

ついに今にも日が暮れようとしている時、

僕は両側にいた参加者のことを目を合わせてこういった。

キャンプに来てくれて本当にありがとうかぎかっこ

告白をした時と同じぐらい緊張した。冗談じゃなくて本当に。


かぎかっこミッキー告白しがちだからね笑


日が暮れて全治が闇に包まれたあと、車に乗り込み。上を目指す


音符カントリーロード この道ずっと行けばあの街に続いている気がするカントリーロード


繰り返しになるけどこの景色は一生忘れない

みんながいてくれたことに心からのありがとう.


最後の夜だ.


みんなで櫛引町の温泉に入った。帰ると車で帰る途中店ふとテレビのつけると10金曜ロードショーで耳をすませばがやっていた.

夜真っ暗な道の中を車のライトだけを頼りにする進む。家に着いたのはいつ頃だったかな。車を運転してくれたスタッフの人はとても眠そうに運転していた疲れていたんだね本当にありがとうお疲れ様です.

夕飯はキャンバーの子があった玉ねぎの千切りをしてくれてみんなでオムライスを作ってシェアしていただいた

今まで食べたオムライスの中で心からも美味しいオムライス。

片付けを終え、みんなはそのまま布団に入るモードになった。

でもさっき眠気を抑えて車を運転してくれたスタッフの人が台所でお皿を洗ってくれていた。

考える暇もない

その人が手に持っていたスポンジを無理やり奪い取り

かぎかっこ寝てかぎかっこ

そうしてお皿を洗っていたら一人の子と一人の子が荒いに手伝いに来てくれた来てくれている本当に感謝しかない

この五日間で感じたことのキャンプが終わった後どうなりたいかお皿を洗いつつ二人で夜な夜な言葉を交わす

最後のお皿を洗い終え台所のところにあった食卓にバタンキュー

みんなはもう寝静まっている。

電気も台所以外は真っ暗だ。

ほとんどの家が真っ暗で窓に目をやるとガやカエル蜂がまとわりつくようにこちらを見つめている

。そんな中そのこと夜な夜なお話をした
僕が大学1年間で自己の成長のために東京を飛び出した経験も僭越ながらお話しさせてもらうこんなに話していいのかなと思った盲目が考えていることを伝えたらきっとそのこの中のこれからのプランにもきっといい影響があるいろんな人の意見も取り入れていいんじゃないかそのその時はそう思ったって

とても参考になったやっぱりみっきーから学べることは沢山あるよ

こんなに人に役に立った事がとても嬉しい

僕一人だったらこんな夜になに一人1人で何やってんだ

と思うだろう

その子が焚き火のように僕の前にいてくれたことで、僕の心もとても温かくなった。

ここに来てくれて本当にありがとう

気がついたら4時になっていたさあもう寝よう

その子が自分からもう寝ようかなって言ったことが

5日間の成長を観れたようでとても嬉しかったよ。



最終日、また、川沿いにある緑の公園でみんながこれからのこと、庄内で得たことをどう日常生活に生かしていこうか、一緒にかんがえる。

公園の小川のふちにすわりこむ。

今、川の岸辺にあがって一休み、どう進もうかしっかりと進路を定めて、
また川の流れに乗ろうとしているみんなの姿。

みんながこれから、どんな旅を始めていくのか、とても楽しみだ。

僕も、みんなの話を聞いている中で、自分が、庄内の地に導かれた源流を、みんなの話を聞く中で考えていたんだ。


こうしてみんなとお話しできていることは、とてつもない奇跡だね。

僕がSNSで宣伝をしていなかったら、申し込んでくれなかったともだちもいる。


ほんとうに、ここまできてくれてほんとうにありがとう。

ありがとうと何回言ってるんだじぶん。


僕は、さきにかえらないといけないんだ。

みんなが話したいことを、程よく出し切ることができたとき、鶴岡駅に、急いで直行してくれた。

鶴岡駅は、平屋屋根の駅舎に、広い改札口がひとつ。

改札の先は、僕が乗る新潟行きの特急がやってくるホームがあった。


みんなが、車を降りて改札口の前まで見送りに来てくれている。

電車は、あと数分でやってきてしまう。
ひとりひとりと、これからもずっと続いていく関係性を作りたいな。

そう心におもい、みんあひとりひとりと握手をさせてもらった。

もうすぐ列車は来てしまう。


せわしない旅立ちだった。でも、これでもいい。

これはほんとうの旅立ちではなく、みんなと絶対に顔を合わせるための第一部の幕引きにすぎないのだから。

改札を抜け、後ろを振り返る。

みんなが、僕の顔の一点に視線を集めてくれていた。

こんなに、心からの愛を注ぐことが出来る場所があって、ほんとうにうれしかったです。


「清流」の接近メロディーがホームになり響いた。

あの、車体に僕たちの思い出の表象である、いなほと日本海の夕陽をこれでもかと描いた列車が入ってきた。

みんな、ほんとうにありがとう。


ぼくの家族は、東京の外に実家というものをもっていない。
だからこそ、こうしてはるばる行った場所から、旅立ちを見送ってくれるようなひとにたくさん出会えたことが、かけがいのない財産のように感じるんだ。

みんなは、僕の顔が見えなくなるまで、「バイバイ」といわんばかりに、手を振り続けてくれた。

こればっかりは、涙が頬をしたたるままに、じぶんの号車へあるきつく。

無心で、最後部の海側の座席に腰掛ける。

ドアが閉まる。

動きはじめた、、、、、、、

「♪動きはじめた 汽車の窓辺を 流れていく 景色だけを じっと見ていた」


まさにそのとおり。列車が、ビデオテープを巻き戻すように新潟に向かって一直線に進む道中、

ほんとに、放心状態で座席にすわり、景色をじっとみていた。


気が付いたら、列車は、もときたばしょである、新潟につこうとしていた。

なんだか、ビルが多いなあ。
急に、夢から覚めて現実に引き戻された感覚をおぼえる。


新幹線の中に入り、一気に現実に引き込まれる。

この列車に乗って、現実の世界へ戻るのか。ほう、なるほどね、、、。

心を整理する暇もなく、新幹線はグーーーンと東京へと轍を進めていく。


なんだか、外に見える世界が、この世の景色とは思えないほど、別の惑星のように感じる。

じぶんは、どこへ向かおうとしているんだ?

そう思いながら、列車は気が付くと上越国境を越えて群馬県に入っていた。


上越の山々を長いトンネルで抜けると、急に心のやる気スイッチが切り替わったような気がした。高崎駅を通過した瞬間に。

もう、感傷的になることはやめたんだ。今回の旅は、はじまりにすぎない。

東京でも、もっといろいろな人と、お互いが安心できるような関係性を作っていきたいな。

「まもなく、大宮です。お降りのお客様は、お忘れ物のないようお仕度ください」

列車が大宮のホームにゆっくりと滑り込んでいく時、僕は心にこう叫んだ。

「よっしゃ!やってやるぜ!!!」

東京でも、じぶんの心のコンパスに従って生きていくぜ!という強い決心して、大宮駅のプラットフォームに足を踏み入れたのだった。


















じぶんは、そばにいるだけでいい


発想を転換させることができた

旅行 ではなく 旅である
別の意味で、じぶんを、憶すことなく表現することができるようになる気がする。

さとのばは「旅する」大学。




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