ご縁に感謝 ~わたしのたいせつな場所 山形・遊佐~
ご縁に感謝
さいきんのわたしの頭の中にゆらゆら短冊のように浮かんでいる言葉です。
この言葉の奥底には、 山形県でもっとも北にある町・遊佐町で紡がれる不思議な出会いがあります。
ときはさかのぼり、2022年8月末。
私は対話を基軸とした自己内省のプログラム「SOKOAGE CAMP」でインターンスタッフをさせて頂いていました
その舞台になったのが、山形の庄内のもっとも北に位置する遊佐町でした。
当時感じた出来事や感情は、稚拙な文章ながらこちらの記事に深く記録されています。
いま同じことを書いて、と言われても絶対にかけない。。。
プログラム期間中、私はこれまで生きてきた中で一番多い量の涙を流しました。おそらく500mlペットボトル1本分は。
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遊佐への招き
しかし今月初め、もう秋が深まって大地が闇に包まれる時間が少しずつ増えてきた頃合い、私は深夜に黙々と パソコンで作業をしていました。
作業をしていると、突然中学校と高校の心友
Fちゃんから電話がかかってきました。
「みっきー、こんなタイミングであれなんだけど、遊佐、、、来ない???」
中学1年で初めて教室の席が隣になり、高校では同じゴスペル部で大切な時間をともにしたFちゃんは、なんと私があの人生のハイライトを過ごしてしていた遊佐町に身をおいていました。
彼女は4月から東京の大学を休学し、お互いに自分と向き合う時間を過ごしています。現在は遊佐で、町の教育を盛り上げる インターンをしています。
大元のご縁のツルの根っこを遡って見ると、彼女も私の ご縁がきっかけとなり 遊佐の町に導かれたルーツがあります。
私が、2022年の冬に同じ庄内地方にある鶴岡で開催されたCAMPに彼女を誘い、参加してくれていたのです。
私はあの時間から解き放たれて、心の底に立ち返るあの空間を彼女に届けたかった。あの空間の彼女がいることで、彼女の未来の扉が開かれていく種が蒔かれる 直感があったからです。
そうして時は巡り、今度は彼女が遊佐の町に根をおろし 再び私を招いてくれたのです。
それだけではありませんでした。私が通っていた東京の高校で時間をともにしていた人たちが、私含めて4人も遊佐の町に集結することになりました。
不思議なことに、私が卒業した東京の高校と遊佐の町が、1本の糸で結ばれたようにご縁のエネルギーが渦巻いていたのです。
私が遊佐を離れている間に、もう一人私の高校の卒業生Sさんが遊佐の地域おこしに関わるお仕事を始めていたのです。
Sさんと私が卒業した期は10年ほど離れています。
しかし 同じ学び舎での日々を刻み込んだファミリーの一人が、 山形の最北端にある遊佐という町に導かれていたことにも、 見えない力による導きがあると私は確信しました。
私はSさんと初めて遊佐で出会い、遊佐に導かれた物語を耳の中に深く聴き、納めました。Sさんによると、高校生時代にA先生とはあまり話すことはなかったようです。
しかし、半年ほど前に横浜の高校へ教育視察に行った際
どこかで見かけたことのある先生だと思い 話しかけた人が、 私とFちゃんが家庭科の授業でお世話になっていた A 先生でした。
ご縁は回り回って、S さんは 私が通っていた高校で進路講演会にも登壇することになったそうです。そこで講演を聞いた 現役の高校生のみんなが 遊佐に遊びに行ったり、思わぬ不思議なご縁がつながり始めていました。
そして今回 そのA先生が 休暇を取って遊佐に遊びに来てくれました。
4人の人生が思わぬ偶然によって遊佐の町で交差する瞬間は、まるで一生に一度の皆既日食を目の当たりにしているようでした。
私を迎えてくれる場所🚃
わたしも 先の用事があった島根県の離島・海士町から 36時間かけて 遊佐の町に帰ってきました。
日没が終わり、夜の帳が更けてしんとした空気が漂う遊佐駅。
改札を出ると、いつもとかわらないFちゃんが私を迎えてくれました。
二人でのほほんと高校生活を送っていた頃は全く想像もしていなかった場所に、全く想像していなかった形で大切な人たちが集まっている。
2年前の夏、訳もわからず駅に到着するやいなや、階段で滑って車においていかれそうになりながらも初めて降り立った遊佐の駅。
視点を遥か遠くの少し斜め上に置くと、この大地の営み全てを作り、自然の営みを黙って見守る鳥海山があります。
駅を出ると、どこかずっと強張って蓋をしていた、苦しかった自分の中の心の筋肉の一部がフッと緩み、「帰ってきた、、、」と心がいつも温かくなります。
初めて出会った私と同い年のインターンのみんな、変わらず多忙なSeさん、
この町で紡がれる出会いは素敵で、ぬくもりと熱さと真剣さと楽しさに満ちあふれています。
生きていたわたしの言葉
今回私が遊佐に導かれた中で感じることを一言で表すなら、
「ご縁に感謝」です。
2023年の春。舞台は東京に移ります。
私は宮城県の蔵王町を舞台に、SOKOAGE CAMP 二度目のインターンをしていました。
キャンプも二日目の夜になり しんしんと白い雪が降り注ぐ中
遠く遊佐から当時高校生のSちゃんがはるばる見学にきてくれました。キャンプが終わった後も連絡を取り合い、彼女がスタッフをする東京のイベントで再会しました。
カタリバというNPOが主催するイベントでした。
私も高校生の議論の輪の中に入って、自分が長い間身を置く環境をよりよくしていきたい高校生のみんなの熱い思いに心打たれました。
それだけでなく、イベントには現役の遊佐の高校生のみんなと、コーディネーター の方がいました。参加していた一人には、私が先日遊佐で再会することになったRちゃんがいました。
議論するグループでも一緒にもならず、イベントが終わった後にみんなでにスタバを頬張る中ではじめましてをしました。
私とRちゃんは あのイベントの時以来会うことはありませんでした。
遊佐に来てから二日目の夜、高校生が集まるたまり場で私は彼女と再会しました。
彼女によると、私が イベントの帰り際に駅で別れる際に口からこぼれた言葉があるそうです。
「ご縁に感謝」という言葉です。
どのような文脈で「ご縁に感謝」という言葉が出てきたのか はっきりと思い出せません。
しかし自分が発した言葉が 目の前の人の心の中で生き続け、Rちゃんが 高校生活を過ごす中で、その言葉は彼女を介してたくさんの友達、先生、地域の人達に共有されていたそうです。
高校生活の中で様々な葛藤を通り抜けてきたかもしれません。
楽しいこと 嬉しいこと しんどかったこと 笑ったこと
レインボー色では表せないほどの彩りの濃い感情を通り抜けてきたことを、Rちゃんが私に向かって話すその眼から感じました。それでも 遊佐に集められたたくさんの仲間たちのこころの中に生き続け、 輝いているその姿が視界に入ってきて、私はとても嬉しかったです。
自らの言葉が誰かの心の中で生き続け、その灯火がまたたくさんの人に分け与えられていった営みを知り、私の心にはストーブがくべられたような幸せに包まれました。
この山形の最も北にあるこの町に 目には見えない不思議な力の導きによって 導かれた 人たちとまた新しい物語がつながれようとしていること。
今回遊佐に行って、新しく出会った高校生のみんなもいました。少しばかり触感が似た過去を持ちながら生きていることを分かち合い、
寒い部屋の中でストーブを囲みながら、
涙の滝の水源が発掘され、滝としてこぼれるトキを共有しました。
みんなの心の中に 共通して備えられている魂は
遊佐という土地とひとが大好きだ
ということだと私は感じます。
私にとって 遊佐という街は 自分の全てを受け入れてくれた かけがえのない私にとっての居場所です。
鳥海山が遠くはるか先に大きく大きく見渡せる鳥海パノラマパーク
鳥海山をバックに これまた不思議なご縁で集まったみんなが私が人生でいじめを受け、学校にいけなくなり、誰も自分を受けて入れてくれないと心から信じていた話をしました。
みんなは、鳥海山に見守られながら 暖かく優しい眼差しで私の話に耳を傾けてくれました。
その姿を見ているトキに、遠くから聞こえてきた電車の警笛の音に私の涙腺は刺激され 大粒の涙が芝生にこぼれおちた。
コロナがもたらしたドラマ
プログラム初日には、 コロナで濃厚接触者になってしまった参加者の子と2人で 散歩もしました。
遊佐町のどんな大地よりも広い広い広い空の下で夕陽に照らされながら 、
その子は「濃厚接触者だってことが言えなかった」 と涙を流しながら 僕に打ち明けてくれました。
「教えてくれてありがとう」と抱き合い、 地平線の向こう側に向かって
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「ふざけんなよーーーーーーーー!!!!!! コロナウイルス!!!!」
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私の身体は、彼を守るために喉元からの叫びを大地に届けてました。
「わたし」の存在が光をてらすこと
プログラムで一緒だったある方は、最近ずっと自分の部屋の中で過ごしていたそうで、僕に会うために、久しぶりに部屋から出てきてくれました。
出会いは一瞬 出逢えば一生
私はみんながこの大地で生き続けてきてくれていることは心から幸せです。そして、各々の人生が 月食が起こるようにこの遊佐という町で 交差し、またそれぞれの人生を歩んでいく その姿を目の当たりにしました。
私も「いま」という時の川を ただ流れに身を任せ 歩んでいきたいと思います。
「出会いは一瞬 出会えば一生」
私の大切な友人が教えてくれた言葉です。
山形の最も北の小さな町で 「人生」という物語を紡ぐ人たちが 交わり合い それぞれの人生を歩んでいこうとしています。
私はこれからも この大好きな町で出会った人たちに ご縁を紡いでいく人でありたいと思います。
そして特に高校生や中学生のみんなと一緒に 世界はもっともっと広くて可能性に溢れているということを感じたいです。
世界はまだまだ 広い。
この素敵なご縁を大切にしながら私も 日々 出会う人と素敵なご縁をつないでいきたいと思います。
帰り際、 遊佐からの特急列車で経由地の新潟県に入るにつれ、どこか自分が庄内の地に何か忘れ物をしている気がして
身体が引っ張られるような感覚を覚えました。
また必ず訪問します。