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‘24.10.12 九州弾丸ツーリング2日目 大分石仏巡り

2024年10月12日 土曜日 弾丸ツーリング2日目
朝5時起床、瀬戸内海のフェリーは揺れが少ないのでゆっくり休むことができます。夜中に「曲がってるな」と感じることがありますが、瀬戸内海の航路を改めて見てみると、島々の間を通り抜けるために舵を切ってくれていたのですね、昼間だったら瀬戸内海の島々の風景を楽しめそうな航路です。

画面ショット:Google Map

せっかくなので朝風呂に入って、朝食前に日の出をデッキで待ってみました。

1日快晴が期待できる朝焼け
日の出
間違いなく今日は良い天気
大分に近づいてきた
バイキング朝食後下船、九州上陸

過去にやまなみハイウェイ方面は何回か走っているので、今回は九州東端の鶴御崎灯台を折り返し地点として、石仏巡り、時間が許せば久住高原道路というルートで走ってみました。

◼️国宝 臼杵石仏
感動でした。
大分の石仏は見るたびに驚きと感動を与えてもらえます。大きな岩の塊から、様々な表情の石仏を浮かび上がらせる、彫り師の想像力、創作力に感動を覚えずにはいられませんでした。あたかも岩の塊の中に元々あったかのようにも見えてきます。静岡には無い文化で、この地にこれだけの石仏が現存していることは奇跡すら感じました。

古園石仏大日如来像に代表される国宝臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われています。誰がどのような目的で造営したのか、はっきりとしたことは分かっておらず、今もなお多くの謎に包まれています。
その規模と数量において、また彫刻の質の高さにおいてわが国を代表する石仏群であり、平成7年6月15日には磨崖仏としては全国初、59体が国宝に指定されました。石仏群は4群に分かれ、地名によって、ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、ホキ石仏第2群、山王山石仏、古園石仏と名づけられています。
それぞれに傑作秀作ぞろいであり、表情豊かな御仏の姿は、みる者の心にやすらぎをあたえてくれます。その後、平成29年9月に古園石仏群の入口にある2体の金剛力士立像が国宝に追加指定され、現在は61体すべての磨崖仏が国宝に指定されています。

https://sekibutsu.com

じっくり一体一体見たかったですが、時間が限られた弾丸ツーリング、気持ちを切り替えて次の目的地に向かいます。

◼️丹賀砲台ドーム
臼杵石仏の次は九州東端の鶴御崎灯台を目指しました。その途中、事前に調べて寄ってみたかった戦争遺跡である「丹賀砲台ドーム」に立ち寄りました。

九州東端を目指して走る

丹賀砲台とその歴史
悲劇の巨砲 丹賀砲台! 砲塔井(ほうとうい)には今も爆発事故のあとが残り、厚さ2メートルを超すコンクリートに刻まれた傷は爆発の大きさを記しています。砲塔井の直径は10メートル、深さは12.8メートル。もっとも薄いところでも、2メートル以上の鉄筋コンクリートでできています。砲塔井へ行くには斜坑をリフトで登ります(約3分)。階段は162段あり、すべて御影石(花崗岩)で作られています。幅は狭く、最大傾斜角度は45度全長80メートルの急階段です。 現在リフトがあるところにはベルトコンベアがあり、砲弾を運んでいました。
現在はドーム状の屋根を作り、貴重な戦跡を風雨から守っています。 中央のらせん階段を上ると、コンクリートに刻まれた爆発事故の痕跡がよく見えます。屋外は展望公園になっていて、大島、佐伯湾、豊後水道を望むことができます。
砲塔は南西方向、鶴御崎半島と大島の間にある「元の間海峡」を向いています。地下に作られた弾薬庫は、入り口が2ヶ所あります。丹賀砲台の建設総監督をした「久保禎三」は、後に戦艦大和の設計をしたそうです。
丹賀砲台の悲劇
爆発事故で亡くなった内藤中佐以下16名の名前が彫られた慰霊碑があります。 隣接して、太平洋戦争で亡くなった旧鶴見町の方々465名の名前が刻まれた平和の塔があります。丹賀砲台は、大正15年10月に起工し完成は昭和8年10月、8年の歳月をかけて建設し、工員が増えることで町は賑わったそうです。昭和16年12月、真珠湾攻撃があり大戦がはじまりました。 翌年の昭和17年1月11日、戦闘に備えて実射訓練を開始。8発を発射し最初の4発は射程距離1万メートル(10km)、後の4発は射程距離2万メートル(20km)を発射。最後の1発が砲身の中で暴発し、砲塔井の根元から吹き飛ばされました。爆音が地区に鳴り響き窓ガラスが割れ、真っ黒い煙が立ち上りました。亡くなった方々は事故死として処理され、補償もなかったそうです。

https://www.visit-saiki.jp/

到着してリフトに案内されて説明放送を聞きながら砲台跡へ。想像以上の大きさ、スケールに驚きましたが、目の前の広い豊後水道を守ることを考えると、この大きさが必要であったことが理解出来ました。

リフト完備 説明聞きながら楽に登れる
戦跡を守るドーム
砲台があった跡 デカい
砲塔推定図、デカい
砲台の先の豊後水道
砲台跡はドームで保護
慰霊碑には実弾2発
生々しいプロペラ
砲台実サイズ体験

この空間に座っていた砲台は、おそらく戦後すぐに解体されて空っぽになったと思いますが、もし砲台が残っていたら・・その圧倒的な鉄の塊を見てみたいと思わずにはいられませんでした。

◼️九州最東端 鶴御崎自然公園 鶴御埼灯台
淡々と海岸沿いを走り、九州最東端、鶴御埼灯台に到着
Google Mapには「鶴御崎灯台 (旧海軍望楼跡)」とあり、ここも戦跡です。ちょうど誰もいないタイミングで豊後水道の景色を独り占めすることが出来ました。その昔にこの広い海に向かって砲弾が打たれていたなんて、その場所に立ってみましたが想像が出来ませんでした。

豊後水道を眺める
天気に恵まれ四国が見えた◎
360度監視可能な戦跡
九州最東端 鶴御埼灯台と一枚
ここまで来れて良かった

今年に入ってから9月まで人手不足で仕事があまりに忙しく、悶々とした日が続いておりました。この海の風景を見ながらそのストレスを振り返りつつ、今回のツーリングに出かけられたこと、職場の応援や家族に感謝、この風景が心を穏やかに変化させてくれたこと感じました。とても大切な時間を持つことが出来ました。


◼️普光寺 磨崖仏
今回、大分の石仏でもう一つ訪れたかった日本最大級の磨崖仏
鶴御埼灯台から2時間掛かり到着、お腹が空きすぎて歩くのもヘロヘロでしたが、その大きさにびっくりするも、大分の石仏文化の深さに深く感銘を受けました。

普光寺の境内に彫られた磨崖仏は、高さが11.4mあり、国東半島の熊野磨崖仏とともに大分県内最大、日本でも最大級の磨崖仏です。不動明王像を中心に、両脇に矜羯羅童子、制咤迦童子像が控え、右手には多聞天、弁才天が刻まれています。
豊後大野の多くの磨崖仏が約9万年前の阿蘇火山の 4回目の火砕流に彫られているのに対し、この磨崖仏は約12万年前の 3回目 の火砕流に彫られています。
また普光寺は、別名「紫陽花寺」と呼ばれています。その別名の通り、毎年6月中旬頃になると敷地内に沢山の紫陽花が咲き楽しむ事ができます。

https://www.visit-oita.jp
磨崖仏 全景
その大きさに感動、大分石仏って凄い
真下から、デカい

ここも来れて良かった、そう思える大分の名所でした。

◼️道の駅「竹田」
遅い昼食とお土産を買おうと道の駅 竹田 に到着
あまりにお腹が空きすぎていたので、何か食べたくてバイクを止めた目の前のお店の焼きそばの匂いに自然と吸い寄せられました。聞けばB級グルメグランプリの焼きそば、めちゃくちゃ美味い、その美味しさにびっくり、シャキシャキもやしにお肉たっぷり、カリカリに焼いた麺が絶品、感動的な焼きそばでした。お店のご主人に、美味しい食事にお礼をしながらの談笑がとても嬉しい時間でした。

道の駅「竹田」到着
くるくる亭 日田焼きそば ◎◎
感動の美味しさ、また食べたい
地元の神楽も楽しめた

◼️ぐるっとくじゅう周遊道路 >>> やまなみハイウェイ
帰りのフェリーの時間を気にしながらも、ここまで来たら阿蘇の風景を見ようと、ぐるっとくじゅう周遊道路の「天空のプロムナード」と、やまなみハイウェイ「長者原」へ

ぐるっとくじゅう周遊は最高
この風景を見たかった
最高でした
初秋の阿蘇の風景に感動

阿蘇には夏に家族旅行でも来まして、秋にもバイクでも再訪してしまいました。


阿蘇の雄大な眺め見納め
長者原 定番撮影ポイント

時間ギリギリまで阿蘇を楽しみ、若干の焦りを感じながら大分港を目指しました。

信号少なく大分港までめちゃいい道走れた

◼️新湊温泉
フェリー出航の1時間半ほど前に港に着くことが出来まして、最後のダメ押し楽しみで、フェリー乗り場近くの天然温泉「新湊温泉」へ。泉質がなかなかよろしく、とても短い入浴でしたが九州の温泉も入ることが出来ました。

昭和の雰囲気

◼️フェリーさんふらわー乗り場到着
無事にフェリー乗り場に着きました。乗船手続きをして戻るとハーレー乗りの方々がセローを囲んで何やら話をしていまして、会話しようかと思いつつも程なくして乗船となりました。九州ツーリングを目一杯楽しむことが出来まして大満足な1日でした。

無事到着
復路もぱーる号
帰りのフェリーに乗るのは少し寂しい
バイキングといってもこれで十分

約300km走りまして夕食の生ビール美味しく、心地よく酔いがまわり、部屋に戻って早々に寝落ちしてしまいました。

3日目に続く・・



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