愛猫の最期の日のこと #1
愛猫ネオの旅立ちから、もうすぐ2週間が経とうとしています。
ようやく、その時のことを書く(書ける)気持ちになったので、何回かに分けて書きたいと思います。
正直なところ、あの日のことを書きたい自分と、何かにつけて書けない自分がいました。
2022年1月20日(ネオが旅立つ3日前)
私はnoteに「マーダー・フォー・トゥー観劇をやむなく断念」というタイトルで記事を書いていました。
マーダー・フォー・トゥーとは、昨年10月にチケットを取った坂本昌行さんと海宝直人さん出演のミュージカルで、昨年10月前半のネオは、腎臓病で自宅輸液ではあったけれど普通に過ごせていて、実際は表に出していなかったのかもしれませんが、いつも通りに見えていました。
ですが、舞台当日の1月20日は、前日にオシッコが出なかったり、それによって輸液の量をどうするか悩んだり、呼吸がおかしい時があったり、ずっとゴロゴロと喉を鳴らしたりと、これはなんだか様子がおかしいぞという事があって、舞台観劇に行くのをやめました。今思うとその決断は本当によかったと思っています。
また、不調になってからは、あんなにラブラブだったのが嘘みたいに私に寄ってこなくなっていたのですが、夜、自分の寝床(私が寝ている頭の上)から私のベッドにダイブして(ダイブといっても上から下にダラリと落ちてくるだけでジャンプしているわけではない)、私の顔に自分の顔をこすりつけて枕を一緒に使って寝るなど、急に甘えてくるようになり、ますます様子がおかしいと思い始めていました。
なぜなら、死期が近づいてくると甘えてくるという話を聞いていたからです。
更に、ネオのカラダは結構な低体温になっていて、ベッドの下に行きたがったり、口内炎が復活していたみたいで少し血も見えました。それでも、夜はスープ系のものに更にお湯を足したものを少し食べて(飲んで)くれましたが、結果的にこれが最後の食事になってしまいました。
22時30分頃に輸液をしてネオを寝床に連れて行き、私も寝ようとして歯磨きやトイレをすませベッドに行くと、ネオがまた自分の寝床からダイブして私のベッドの枕元に転がるように寝ていたので、ネオを私の右脇に移動させ私の腕枕で寝ることにしました。
2022年1月21日(ネオが旅立つ2日前)
私はnoteに「今日から新しい試みを開始」というタイトルで画像だけ載せていました。
前日の24時30分頃にネオは私の腕枕で寝たのですが、夜中の3時過ぎあたりから動き始めて、カラダが辛いのか体勢をコロコロ変えていました。ネオが起きればもれなく私も起きるので、なんだかんだでネオと私は朝までずっと起きていました。
21日の午前中に、ホモトキシコロジー(以降ホモトキ)を病院に取りに行く予約を入れていたのですが、この様子だと私が外出している間に・・・なんて事があるかもしれないと思い、病院に行くのをやめる決断をし、取り急ぎキャンセルのメールを病院に入れました。
朝8時頃、ネオをトイレに連れて行くと、いつもの量でオシッコをしてくれて、手足の浮腫みなどもなかったので、今後も輸液は予定通り行うと決めました。なぜかネオは最後の1ヶ月ほど、自分からトイレに行ってオシッコをしなくなっていたので、時間の頃合いをみて私がトイレに誘導していました。ですが、粗相は一度もなかったです。
この時、ネオがこんな状態になってもSUBシステムはちゃんと役割を果たしてくれているなと感動したのを覚えています。
オシッコの数分後に吐き気を催し、嘔吐する前のあの苦しそうなゲコゲコをしましたが、中身は出ませんでした。1月はほとんどこんな感じで、これが最後の嘔吐になりました。
ちなみにウンチは1月16日を最後に出ていません。ウンチといっても12月後半以降は、少ない量でカタチのない粘膜系の軟便だったので、毎回お尻まわりを拭いていました。ウンチも一度も粗相する事なく、キャットタワーのテッペンにいても、必ず自分の足で降りてきてトイレに向かいました。キャットタワーから降りてくるのは一苦労のはずで、我が子ながらすごいな、偉いなって思っていました。(私のトイレのセッティングミスで違うところでウンチをしてしまったことはあります)
この頃になると、オシッコやウンチをするだけで体力を消耗するみたいで、用を足すとトイレの中でグッタリと寝てしまったり、トイレから出た瞬間に脱力して床にベチャーっとなって、背中の毛が激しく毛割れしていました。そしてトイレで力むからなのか、吐き気を催すというパターンが多かったです。
ちょっと前までは浴室のシャワーでお水を飲んでいましたが、カラダを動かす事も負担になると先生に言われたので、シリンジで飲ませることにしました。思えばもっと早くからシリンジにすればよかったのかもしれません。
そして午前中、病院の先生と電話で話すことができ、ホモトキは輸液と一緒にやり続けたほうがよいとのことで、ネオの体調次第で病院にホモトキを取りに行く行かないを決めることになり、日中の様子を見て判断することになりました。
決して体調がよかったわけではありませんが、今なら外出できそうと思ったその日の夕方、とにかく急足で病院に行き、ホモトキと新しい試みのセレニアを処方していただきました。セレニアは嘔吐止めなのですが、先生に以前から少しでも苦痛を和らげる目的でセレニアを薦められていましたが、やっていませんでした。
セレニア開始についてはこのnoteに書いています。
先生に「どうして今までセレニアを拒んでいたのにやる事に決めたのですか?」と聞かれて、私は「直感的にこの週末が勝負だと思ったからです。少しでも辛さが緩和できるならと賭けに出ました。」と、こんなような内容の事を伝えました。すると先生が、ホモトキの成分に新しいものを加えたいと仰り、先生がそう言うなら特に問題ありませんと言いました。
帰宅すると、外出する時はコタツの中にいたネオがベッドの下に移動していて、カラダが冷えかけていました。急いで暖かくして、18時30分頃に輸液とセレニアを注入しました。少しでも苦痛がなくなればいいなと願っていたのですが、見た目にはあまり効果がなさそうな感じで、むしろ、一点を見つめてジッとしてしまったという印象でした。セレニアは3日続けて注入する予定だったので、初回だからそんなに急には効果が出ないのかなと思い、2回目、3回目に期待しようと前向きに考えました。
そのあと、会社の同僚と40分くらい電話で話をして、ネオの様子を見つつ、インスタにポストしたりnoteを書いたりして、23時40分頃にベッドに入る準備をしていて、ネオをいつもの寝床ではなく、私の足元の毛布の上に寝かせたのだけれど、なんだか寂しそうな目をしたので、前日同様に私の右脇あたりに連れてきて寝かせました。この時、やたらとジーッとこっちを見ているなあ、なんだろう?と思ったのと、呼吸音に変な音が混ざっているような感じがしたのを覚えています。
そしてネオと私は眠りにつきました。この週末が勝負だと思ってはいたものの、まさかこのあと、私には想像もつかない、あんなに長く苦しい闘いがネオの身に起こるとは、思いもしませんでした。
愛猫の最期の日のこと #2 へつづく。