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関口フランスパン
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今日喫茶店で温かい作りたてのクラブハウスサンドイッチを食べながら、このお店の歴史を読んでいました。フランスに修行に行った長尾鉀二が1888年に工場長になって関口町に創業したパン屋さんでした。
その当時のフランスで本格的なフランスパンの製法を学び、日本に持ち帰った本場ものです。
創業136年です。
1888年???
1889年、フランスで行われたパリ万博博覧会。その前年ではないですか!
この時がチェンバロにとって記念すべき万博で、ルイ・ディエメが1769年製のタスカンのオリジナル楽器を用いてチェンバロ連続演奏会を催したのでした。
思い出して、一人で感激していました。
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明治6年キリスト教の解禁後、近代日本が迎えた初のローマ法王の使者 オズーフ司教が神父のペトロ・レイ師と共に、明治20年頃、山の手の関口町へ赴きました。
ペトロ・レイ師は、教会経営の孤児院の子供たちに何か文化的な職業を身につけさせようと考えた結果、パンの製造を思いつきました。子供たちの中から長尾鉀二(後の関口フランスパン職工長)を選び仏印に送り出し、本格的にフランスパンの製法を勉強させました。
そして彼の帰国後、教会敷地内に製パン工場を建て、関口フランスパンは、明治21年(1888年)4月、小石川関口教会(現関口教会)付属聖母仏語学校製パン部として創業しました。日本における本格派フランスパンの誕生といえましょう。(HPより)
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