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フランス・イタリア・イギリスの楽譜印刷


楽譜出版に関してどの国が一番早いかを調べているわけではないのですが、並べてみました。1500年から1520年頃には楽譜の記録が定着していったようですね。ありがたいことです。
12月14日のオルガン研究会ではアテニャンの出版した楽譜からも弾きます。



ピエール・アテニャン(Pierre Attaingnant or Attaignant, c.1494 - late 1551or1552)はルネサンス期のフランスの音楽印刷者で、パリで活動した。





アテニャンは、音楽印刷において single-impression movable type の最初の大判印刷者と言われている。この技術によってペトルッチのような前任者たちのものより、より速く、より安価で印刷することを可能にした。アテニャンはしばしばこの技術を開発した最初の人であると誤認されるが、しかし、ロンドンの印刷者であるジョン・ラステルが1520年にこの技術を用いたという確たる証拠が存在している。

彼は多くの作曲家の1500を越えるシャンソンを出版した。それらの中には、Claudin de Sermisy, Pierre Sandrin, Pierre Certonのようなパリの作曲家が顕著に現れるが、5冊のシャンソン集を誇るクレマン・ジャヌカン(Clément Janequin)が最も多く登場した。アテニャンはジャヌカンのシャンソンに献身的だった。

彼は音楽の多くの出版において印刷の特許を獲得した。最終的に彼は王室音楽印刷者および司書(imprimeur et libraire du Roy en musique)と呼ばれるに至った。




ペトルッチ
Petrucci, Ottavio dei

(1466.6.18. フォッソンブローネ~
1539.5.7. ベネチア)
イタリアの楽譜印刷・出版業者。活字印刷術を定量音楽に適用し,初めて植字印刷方式の楽譜印刷に成功,1498年ベネチア共和国議会からその特許を受け,1501~11年の間ベネチアで活躍したが,故郷フォッソンブローネに戻り,1520年まで教会,世俗などの多くの楽曲を印刷した。 1536年ベネチアの議会の招きで復帰。印刷された楽譜は『ハルモニーチェ・ムージチェス・オデカトンA』 Harmonice Musices Odhecaton A (1501) ほか 61に上る 。






ジョン・ラステル
(またはラスタール)(1475年頃 - 1536年)は、イギリスの印刷業者、作家、国会議員、弁護士であった。

彼はまた、1520年代にポリフォニック音楽の印刷を始めた最初のイギリス人でもありました。譜表、音符、テキストを一緒に印刷する活字片を使用して音楽を一回で印刷する習慣は、1520年頃にロンドンでラステルによって初めて実践されたようです。彼が印刷した2つの異なるブロードサイドソングシートが現存しており、1523年頃のものです。このような初期の時期の短命な未綴じの作品が2つ現存していることから、彼がかなりの量の音楽を印刷していたことが示唆されます。テキストは英語で書かれていることから、輸出用ではなく地元市場向けだったことがうかがえます。彼の死後、楽譜の活字はジョン・ゴフによって取得されました。


この曲・・・そうだったのかー?

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