ブラームスのオルガン作品そしてクララ
ブラームスはバッハ、ベートーヴェンと並んで三大Bとされています。
ロベルト・シューマンとは23歳の違いがありながら、生涯、シューマン家と深い関係がありました。
1853年にシューマンを訪ね、その頃からのお付き合いです。口絵の頃、20歳のころです。
同じ頃、フランツ・リストの所も訪ねていますが、こちらあまり気が合わなかったのかその後はなかったようです。
シューマンの妻クララとも親交があり、クララからグラーフのピアノを長年借りていたほどです。シューマンは晩年精神疾患を患い、自殺未遂やその2年後の死とシューマン家の困難な時期にブラームスは献身的に一家のために務めたという話があります。
1856年にシューマンが亡くなり、その後長い期間の間もお付き合いは続きました。
1896年にクララ・シューマンが亡くなり、翌年1897年にブラームスも亡くなりました。
1896年に作曲され、そしてナンバーが付いている作品としては最後の「11のコラール前奏曲」op.122 はクララが亡くなった年の作品であり、初版では1896年6月に作曲されたと明記されています。クララは1896年5月20日に亡くなっています。クララのために書いたと思っても不思議ではありませんね。クララに献呈したものであろうか?
遺作(nachgelassenes werk)
作曲年:1896年 6月
初演;1902年4月24日 ウィーン
初出版;1902年
Choral Vorspiele(コラール前奏曲)の上にあるelfは?「elfe」は妖精。
ブラームスによる、史上初の蓄音機での録音を見つけました。
1889年12月2日に録音された「ハンガリー舞曲第一番」はトーマス・エジソンの代理人の依頼によるもので史上初の蓄音機録音とされています。
ブラームス57歳の演奏です。
①wikipediaの方は音があまり良くないですね。
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