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ロートレック 哀愁を纏う女


ロートレック『二日酔い』1887~89年
ケンブリッジ、フォッグ美術館

哀愁を纏う女が正式な題名でしょうか?
ワイン屋さんのサイトから参照します。
篠原魁太さんという方のコラム。フィラディスというワインの会社のソムリエさんのようですが、このコラムを読んでいろいろ考えました。

ロートレック(1864年〜1901年)のこの作品は1887年〜1889年制作です。
私の研究テーマ1889年、まさにその時の作品です。ムーラン・ルージュは1889年のパリ万博の各国からのお客さん目当てに、確かお肉屋さんが始めた興行で現在に至るまで大成功しています。ロートレックはムーラン・ルージュの常連客で多くの踊り子や役者、観客を描きました。
ロートレックは1891年からリトグラフを製作し始め、作品には「ムーラン・ルージュ」などのポスターの名作も多く、ポスターを芸術の域にまで高めた功績でも美術史上に特筆されるべき画家である。
そうかー、ロートレックは25歳の頃から人生のいろいろを見てきたんですね。
9世紀に溯る伯爵家の出身であり、しかし、健康上の問題で彼は長生きすることがなく生涯を終えます。
思うに、自分の身分を顧みず歓楽に走ったというよりは、身分が高いということで踊り子たちの姿を客観的に描くことが出来たのではないか。永井荷風のように。
そうでなければ、この憂い、この重苦しさは描けないでしょう。
時々不思議に思うんです。まさにそのような状況の人々が自分に近い状況を描けるのだろうか?もし、描くとすれば、それは切実な訴えであるでしょう。
ところが、ロートレックはどこか客観的で、カフェにいる人々を観察しているような冷たさを感じるんですよね。私だけでしょうか?


ムーラン・ルージュに行く時もこんな風に正装であったことでしょう。
この作品は1889年。
1889年はムーラン・ルージュとエッフェル塔が、パリ万博に合わせて開業しています。
ロートレックはディエメのチェンバロを聴いただろうか?
私は1889年に行って確かめたいくらいです。

以下、フィラディスのワインの篠原魁太さんコラムです。

19世紀後半のパリ。彼女は父親を知らない。彼女は母ひとりに育てられ、5歳でパリへと母と共にやってきた。彼女は11歳の頃から生きるために必死に働いた。洗濯女やお針子など、女性の働き口があまりにも限られていた時代。しかし娼婦などにはなりたくない。危険を伴うが金を稼ぐことができる仕事として、彼女は15歳で空中ブランコに乗る曲芸師となり、ショーの人気演目をこなしていった。しかし長くは続かない。彼女はブランコからの墜落事故をきっかけに曲芸師を廃業した。彼女が次に生きるために選んだ仕事は絵のモデルであった。

 当時のモデルは娼婦以下と蔑まれるほどの職業だった。もはや手段を選んでいる場合ではない。彼女は多くの有名画家たちを魅了した。ルノワールにドガ、そしてロートレックといった錚々たる面々である。

 ロートレックが美しくも孤独な彼女を描いているのが冒頭の油彩画である。当時モデルの仕事を始めたばかりだったという。ワインの瓶とグラス。居酒屋で酒を飲む庶民の女性としての姿。19世紀末、女性の飲酒は社会的に問題視されていた。孤独に酒を飲む女性は大抵客を待つ娼婦だと見られていたという。この絵に描かれた哀愁を纏う彼女からは内なる生命力さえも感じられるようである。なりふり構っていられなかった。18歳にして彼女は母親と同じ運命をたどることになる。父のわからない子ができたのだ。その子さえも養っていかなければならない。

 彼女の名前はシュザンヌ・ヴァラドン。これは本名ではなく、画家としての名である。


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