「取材ライター歴25年以上。ただひたすらに人のために書いてきたけれど、そろそろ自分自身と向き合いたいと思う。満ちてはまた欠けていく月のように、移ろう心と付き合いながら…。」 なんてnoteの最初のタイトル部分に書いてたんだけど、かしこまり過ぎて最初から面倒になってしまったので、方向転換。 普通に日々の生活記録をしていくこととする。 とにかく、自堕落、横着、非常識な自分の生活や価値観を、 周りへの感謝と反省、そしてこの先への多少の向上心も抱きつつ、 もうそのまま垂れ流してい
先日、叔母が急逝した。 密かに何年も闘病していたらしいが、周りに全くなにも知らせず、悟られないよう元気なフリして遊びに来たりしていた。 去年の春に一緒に撮った元気そうな写真が残っている。 知らせがあってからあっという間に逝ってしまった。 特に付き合いが深かったわけではない。 強烈なインパクトのあるワガママな人で、どちらかといえば苦手な叔母だった。 それでも産まれた時から居た存在で、年に数度は交流もあったわけだから、もう二度と会えないという事実を受け止めるのはなかなか難しい
何を書こう? 今までずっと、私は〝器〟でしかなかった。 誰かを受け止めるための器。 そして、器にためた誰かの思いや出来事を、 誰かのために言葉にしたためてきた。 そのために、いつも空っぽでいた はずだった… 人生半世紀を過ぎて、 それでも多分、きっと 知らず知らずにいろんなことが溜まってきていたんだろうな。 いろんなことあったし。 ボチボチ、ぽつりぽつり 心の中を書いてみようと思う。