小松未歩さんの『青い空に出逢えた』の青い空。
今日は12月3日。1997年のこの日に小松未歩さんの1stアルバム『謎?』が発売されました。
ということで小松未歩さんの『青い空に出逢えた』に関して語ります。
さてタイトルにある「青い空」なのですが…。これ、晴天の青空として読めるところもありますが、全体的にはなんというか「境地」として描かれています。
一番において、天使たちのはしごに腕を伸ばしどこまでも行ったら
青い空に出逢えた
となります。
主人公が夢中になって登っていって辿り着いた先に見えたもの。つまりは努力や頑張りの先にあるもの。それが青い空。
主人公がはしごを昇った先にみた空は彼が見ている空。そこに主人公が合流してできた二人の世界、というのをして「青い空に出逢えた」と表現しているのかな?と思います。
しかし…。
空は無限です。二人で世界を作るには広すぎます。
どんな時も同じ方向を見つめていたい、と思っていてもそううまく行くとは限りません。
何かが少しズレた。
360度、上を見上げればきりがない空を行けば、ちょっとしたズレが時間がたつとともに互いを見失うほどの距離を生んでしまいます。
今日の果てには一体どんな明日を手にするの?
もっと側にもっと近く あなたを感じていたかった
その結果
せいいっぱい愛した でもあなたの夢についてはゆけなかった
青い空に出逢えたけど、そこはゴールではなかった。
そこから二人の答えを一緒に探し出せるか。天使たちのはしごを昇っていた時の主人公は考えもしなかったことでしょう。
ただ「青い空に出逢えた」結果、主人公は悟ります。
憧れてた未来のこだわりが消えてゆく
今いるのは彼の青い空ではなく、主人公自身のためにある青い空なんだ、と。
彼の見ていた空に辿り着いたと思っていたけど、青い空まで昇ってきたのは主人公自身であり、その結果到達した青い空は自分自身のもの。だから彼といることに憧れ、それ故に抱えていたこだわりが消えてゆく。
この主人公は青い空に達したせいか、物わかりが良いというか、達観してます。まさに悟りの「境地」に達してます。
でも、なんかあっさりしすぎている気もします。せいいっぱい愛したわりに諦めがよすぎるというか。
そのへんに関しては提供曲という側面が影響しているかもしれませんが、なんとも言えません。
今回は『青い空に出逢えた』の青い空を考えてみました。
次回は『この街で君と暮らしたい』を考えていきます。よろしけばまたお付き合いください。
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