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もはやこれまで

もはやこれまで。ここでおしまい。

何かに急かされてるようで
どこかソワソワ落ち着かないから、
あえて腰掛けて一呼吸おいてみる。
そしたらポンと出た、「もはやこれまで」
絶望のセリフとして認識してた言葉なのに
なんでか、ほっと落ち着いた。

それなら、ここにあるもので十分。
てゆーか、別に足りないものないじゃん?
何が、足りないと焦ってたのか?

そうすると、腰掛けたベッドの感触とか
凛とはりつめた外の空気感とか音とか
そういう感覚が、ふーっと戻ってくる。
そうそう。この感覚を幸せと呼ぶのよ。
何度やっても、繰り返す。
でもその度にまた、知っていけばいい。

人間は、しかたない。
明日死ぬかもよ?ではもう、足りなくなった(笑)
それくらいではまだ、何かをしようとする。
幸せを、つかみ取りにいこうとする。

もう、あと30秒、あと10秒。。5‥4‥3‥2‥1‥‥。

もはやこれまで。
そこで、一番欲しかったものに気づく。
ずーっと一緒にあった、幸せの感覚。
これさえあれば、十分だったのに、
なんで気づけなくなるのか。
ずーっとあったのに、忘れ続ける。

まー、これずーっとやっていくんだな(笑)
とはいえどんどん、気楽になってる。
本当に、アトラクションみたいに。

怒りや悲しみやモヤモヤを
一生感じない人になりたいわけじゃない。
そんなの、たまったもんじゃない(笑)
そんなことになったら、
幸せの感覚も感じられなくなる。

だから、全然いい。
苦しみ悲しみ、不安やモヤモヤ、どんとこい。

コツは、感覚と一緒になって呼吸を待つこと。
それだけだ。
どうしたらいいか、ちゃんとわかる。
だから大丈夫。失敗しても、大丈夫。

そんな一呼吸を、待ってくれる人といたい。
そんな一呼吸を、待ってられる人でいたい。

もはやこれまで。
絶望の裏に、絶望と同時に希望があるのだ。



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