ちょいちょい書くかもしれない日記(勤務)
母は相変わらず、施設の共用スペースを職場だと思っているようだ。
特に誰にも頼まれていないのだが、内線電話の番をしたり、古新聞を折ったり、自分のその日の予定やタスクをホワイトボードに丹念に書いたり。
仕事が忙しくて目が回りそうだと言っていた。
止まったら死ぬタイプの人類というのは、本当に存在するのだなあと実感する。
まったくほしくなかったDNAの継承を、自分の中に感じる。
むしろ、ぐうたらを導入する塩基配列が欲しかった。
母はさらに、私が差し入れしたおやつを、同じフロアの皆さんに配布したりもしているらしい。
「お母様がいつも分けてくださるので……」と介護士さんが申し訳なさそうに仰るので、構わないので好きにさせてやってください、何ならスタッフさんも一緒に召し上がることを決して躊躇わないで、とお伝えした。
母は心正しい人なので、昔から「自分ひとりでこっそり」ができないし、しようともしなかった。
家でも職場でも、「みんなで食べる」をとても大事にしていた。
今もそこは変わりないのだなあ、と少し嬉しくもある。
これまでは、バラ菓子を1つずつ色んな種類揃えていたけれど、そういうことなら、個包装の同じお菓子を何種類か用意したほうがよさそう。
差し入れの方針を転換することにした。
両親のためにあれこれと事務作業に奔走することになってから、もうすぐ1年。
両親のマイナンバーカードが、何度も面倒な手続きを何段階か省いてくれた。
母が、渋る父を説き伏せて一緒に取得したと何かの折に聞いた気がするが、実にグッジョブである。
お役所の皆さんの親切と根気強さにも、いつも頭が下がる。
司法書士さんをお願いすると、毎度こんなにかかっちゃうのかー! 専門職やっぱ強ぇー! という新鮮な驚きもあった。
施設の職員さんたちのプロ意識の高さにも、母に面会に行くたび感謝を深くする。
「ご家族にはとうてい無理ですよ。ここはプロに任せてください」という言葉に、幾度も心を助けていただいた。
父がお世話になった病院の医療スタッフの皆さんのハードワークぶりも、今でもときどき思い出す。
不動産情報センターのMさんにも、実家やクリニックや事務所、それにマンションの撤収作業を引き受けてくれたKさんにも、まったく頭が上がらない。
誰よりも、両親と長年一緒に仕事をしてきた公認会計士さんの献身的なまでの助力がなければ、書類仕事が大の苦手である私は、とっくに「わかんないよー!」と書類を紙吹雪にして、床に大の字になっていたと思う。
両親の仕事について、特に経営と人事のことを熟知しているのが彼だけだったので、私にとっては、頼みの綱がスーツを着て歩いているような存在だった。
ありがたい。
本当に、色んな人に助けてもらいまくった1年だった。
直接の恩返しは、どだい無理な気がする。
彼らはみんなその道のプロだし、彼らの人生において、小説家が何か有益なことができるとは思えない。
でも、もし、誰かが窮地に陥っているとき、懐中電灯で手元を照らすくらいのお役に立てたなら、と願う。
出会ったすべてについて、闇雲に、誠実に学んでいきたい。いつかのために。
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。