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ちょいちょい書くかもしれない日記(霧)

何だかとてもヤバい夢を見ていて、「早く目を覚まさないと!」と焦ってはいるが、夢の中の私は自力でその世界から脱出できない。
新入り猫が容赦なく元気よく胸骨圧迫をしてくれてハッと目覚めたら、午前7時だった。
猫の朝ごはんリクエストで、夢の中の私は命拾いした感じだ。
いったいどんな夢だったのかは思い出せないのだが。
からくり人形のような動きで猫の世話を済ませ、再び布団に潜り込んで、本日の正式な起床時刻は午前9時半。
週末としてはまあまあ上出来なのではなかろうか。
明日になると色々値上がりするアイテムがあるので、今日のうちにひな祭りの買い物を済ませてしまいたい。
でも、着払いの荷物があるので、ジリジリしながら家で仕事をして待っている。
こういうときの仕事は、妙にはかどるから面白い。

医療費のことで世間が荒れている。
ふと、臨床実習で循環器内科を回ったときのことを思いだした。
当時の教授が訓話をしてくださるとのことで医局に集まったとき、教授は私たちの顔を見回し、こう訊ねてきた。
「君ら、さっき実習でひとり1本使わしてもろたシリンジ、ナンボか知ってるか?」
それは、思いもよらない質問だった。
「おい、そこのカニューレ、1本ナンボや?」
質問は、私たちの指導医にも向けられた。彼もまた、首を捻るばかりで、答えられなかった。
「それやからアカンのや。必要なくても念のため使っとく、失敗したら、清潔を言い訳にナンボでも新しいもんを出してくる。そういう無駄の積み重ねが、経費をドカーンと上げてしまうのや」
そこからは延々とお金の話が続いた。
なんだこの人、と当時は思ったが、今はあれこそが、当時の勤務医や医学生に欠けていた大切な意識だったと思う。
自分が仕入れ、支払うのではないアイテムについては、人はその原価と消費に恐ろしいほど鈍感になる。
私はコンビニの袋や箸の有料化にはまったくいい印象を持っていないが、それでも不要なものを受け取らない習慣がつくというのは、店にも客にもそれなりに意味のあることなのかもしれない。
ただし、無駄を省くことに血道を上げる行為には断固として反対だ。
君にとって無駄なものは、誰かにとっては心身を満たすために必要なものだし、いざというときに、それが手元にあることでとても助かる「余裕」でもあるかもしれない。
君が無駄だと思うなら、まずはひとりで遠ざかれ。他人を巻き込むな。そう思っている。

昼過ぎの便で来るかと思っていた着払いの荷物は、夕方の便になった。
霧も出ているし、なんだか暗いし、買い物は明日に回すことにする。
たぶん明日はちらし寿司を作るのだろうが、お寿司はどうしても二人分以上の量が出来てしまう。
ちらし寿司は両親の大好物で、私はさほどでもない。
でも……両親はもう食べられなくても、やっぱり彼らのために作るのだろうと思う。
母流の、混ぜ物はいっさいしない、卵オンリー味付けなしの、わざと厚めに焼き色をつけて仕上げ、太めに切った錦糸卵(当然ながら、まったく錦糸ではない。極細の付箋である)。
そして、父方の祖母好みの、あま~く炊いた干し椎茸。
たとえ具材は市販のちらし寿司のもとを使うとしても、その二つさえあれば、ちらし寿司は我が家の味になる。

明らかに金曜日の疲れが残っているので、夜は牛肉を解凍し、サッと焼いた。
青椒肉絲にしようと思って買ってあった赤身肉だが、肉を細切りにするガッツがないのでそのまんまの形状で食べることにしたのだ。
野菜は、キャベツとモヤシとニラ。刻んでパック詰めになっているものを便利に使っている。椎茸も三枚焼いた。
焼肉のタレは日本人の叡智の結晶だなあ……と思いながら、雑に回しかけて食べる。
大好きなニシダやの千枚漬けも切った。
ニシダやの千枚漬けはちょっと厚めで、酸味がほとんどなく、昆布がきいていて、甘みがちょうどいい。
白いご飯に合う千枚漬けだ。
千枚漬けは、ニシダやか枡悟と決めている。



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椹野道流
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。