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ちょいちょい書くかもしれない日記(田中一村展)

東京に親関係の用事があり、行ったほうが早い状況だったので、ひょいと新幹線に飛び乗った。
私には、隣町に行くのを面倒がるくせに、東京にはコンビニに行くみたいな気楽さで出かけてしまう変なところがある。
たぶん、父方のDNAのせいで、新幹線に乗るのが好きすぎるのだ。特に東京が大好きなわけではないのだが。

辛気くさい用事は早々に済ませた。
このインターネット社会で、やはり今でも当事者が顔を出さねばちゃんと進まない事案はまだまだけっこうあるのだなと、この1年、実感し続けている。
人間だって動物だから、用事そのものは勿論、結果へ至るまでのプロセスにおいて、同じ空気を共有し、互いの雰囲気を直接感じてようやく安心できるところがあるのだろう。
そう思うと、絵姿一枚、写真一枚で結婚を決めていた昔の人は……知っている中では私の祖母たちだが……ずいぶんと勇敢にならざるを得なかったのだなと、今さら想いを馳せてみたり。

さて、少しは、いや、今日は猫たちのために帰らねばならない時間まで、できることは全部やってやろう。ひと休みなどなしだ。
こんな無茶をするのは何年ぶりだろう。5年? 10年? もっとかもしれない。
少なくとも、新型コロナの後遺症でヘロヘロになってしまった身体でやることではないのだが……明日も仕事なのだが……もう、ハチャメチャな無理をやらずにいられないほど、心が疲れている。

東京都美術館で開催されている田中一村展、きっと何度か足を運ぶことになるが、最初をいつにしようかとさんざん迷って、今日にした。
開催二日目、平日の昼前、連休直前。
バクチではあるものの、奇跡的に空いているかもしれないとあたりをつけていた。
果たして会場内は、適度に空いていた。
最初の展示室は、「展示物は順番に丹念に全部見ていかねばならない」というタイプの高齢者が長く厳密な列を作っていたので、適当に後ろの方から流し見して行き過ぎる。
この層をスキップして先に進めると、次の展示室からは快適空間が待っているのだ。
新しくわかった事実、新しく発見された作品たち、描かれた年代が違うことがわかったいくつかの作品。
若き日の一村が、隣市に滞在していたことがあると知って驚いた。
そして……大好きな絵との再会。
前回、神戸で見たとき、まさに"burst into tears"  としか言いようのない突然の涙に困惑した絵の前で、やっぱりジワジワ来てしまった。
10代の私が初めて一村作品に触れたときの、あの雷に打たれたような衝撃はもうないけれど、変わらず素晴らしい絵は、私に、おまえはこの年月、何をしてきたのか……と問いかけてくる気がした。
一生懸命色々やってきたと思うのだけれど、いざ報告しようとすると、なんだか胸を張れるようなことは思いつかず。

でも、ようやくひとつ、27年続けられる仕事を持つことができました。
私の仕事は、それだけに専念することがいいとは限らないタイプのものだけれど、でも魂と身体、両方を削って(そんな風にはまったく見えないとは思うのですが)頑張っていきます。

作戦が功を奏し、大好きな絵の正面にひとりで立つ時間を奇跡的に持てたので、そんな風に心の根っこにある気持ちを言葉にすることができた気がする。
上野駅への帰り道、国立科学博物館の特別展示「昆虫MANIAC」にも立ち寄った。
「今日は当日券でも入れますよ!」ととても珍しい幸運のように、暑い外で対応しておられるおじさんに言われて、何だか入らねばならない気持ちになったのだ。
虫は好きだ。植木屋さんに困り顔で「虫めづる姫君だからなあ」と言われる程度には好きだ。
でも、会場内に集った、老若男女の姿には、何だか胸を打たれた。
虫好き、子供だけじゃなかった! こんなにいっぱいいた。
インターネットの世界では、駆虫大好きさんをより多く見かける気がしていたので、虫を見て本当に楽しそうにしている人たちの姿に、何だかぼんやりしてしまった。
展示は基本的には子供が理解できるような、やさしくおもしろくわかりやすい感じでボードを作ってあるのだが、大人が読んでもなるほど歯ごたえがある。
まず、「虫」の定義から入るところも素晴らしい。
実際の虫たちの姿を見ることができるし、アナログに布をぴろっとめくって隠された部分を見るタイプの展示も多くて、懐かしい。
あまり長居を想定していなかったので駆け足になったが、機会があればもう一度、3時間くらいとって見て回りたい。
大学生とおぼしきふたり連れが、展示の作成メンバーの紹介コーナーで、「自分の指導教官がいかに虫変態か」を語り合っていて、思わず背後で耳をそばだててしまった。いちばん長く留まっていたのは、そこだったかもしれない。
確かになかなかの変態だった。研究者はそうでなくては。
変態だ、実に変態だと言い合いながら、ふたりの声音に確実なリスペクトがあるのもとてもよかった。

上野から東京駅を経て、吉祥寺へ向かった。
賑やかな通りを一本脇に入るだけで、とてもいい雰囲気になる街だ。
古書店「一日」のギャラリーで開催されてる、伊藤ゲンさんの個展が見たかった。
朝、SNSでご本人は不在だとうかがっていたけれど、今日しかないので今日行くことにした。
壁一面に並べられた、剥き出しのままの小さな絵たち。
伊藤さんは、「食べずに、ただ見つめ続ける」スタンスで描かれるそうだ。
そうやって、一瞬の姿と魂を、絵に移し込んでしまうのだろう。
私は、特に食べ物のときは、見て、食べて、それを消化して出てくる言葉を文章に綴る。
書くときにはもう、その食べ物は目の前にはいない。
私の身体を構成する要素のひとつとなった食べ物の、かつての姿を書いている。
人や表現手段が違うと、対象物へのアプローチも違ってくるのだなと、それもまた面白い。
小さい絵は、きっとたくさんの人たちの家で、それぞれの生活の中で、そこに住む人たち、そこを訪れる人たちの小さな思いと共に、さりげなく年を経ていくのだろうな。
22日までやっているそうなので、行ける人は行くといいです。
古書のラインナップも、お洒落雑然でよかった。

東京駅に戻り、恋スパで期間限定スパイシーシュリンプのカレーを食べた。
パクチーを抜き、焼きチーズと温たまを加える。流れるような指定だ。
正直美味しすぎて、なんでシュリンプ増量のアイコンが食券販売機にないのだ……と歯噛みした。
レモンの輪切りは個人的には要らない。食べたが。苦味が楽しめないタイプの人類なのである。
みはしに立ち寄る時間的猶予はないので、いつものようにあんみつを買い、紙袋に詰めてもらう。
新幹線の座席に座ると、とんでもない疲労が押し寄せてきた。
無茶したな~。明日の仕事、大丈夫かな。
でも、絡まっていた心の糸が、ちょっとほぐれた感じがする。

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椹野道流
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。