ちょいちょい書くかもしれない日記(うれしなつかし)
朝、頭が痛くてベッドの中で猫とぐねぐねしていたら、インターホンが鳴った。
配達にしては早すぎると訝しみながらむっくり起きてカメラの画像を見たら、植木屋さんー! わー、どうしたー!
慌てて飛び出すと、植木屋Sさんと助手のTさんが軽トラから降りてきた。
いつものニコニコ笑顔だ。
近くのお屋敷で作業があるので、そちらにとりかかる前に、我が家と向かいの実家の、秋の庭仕事の下見に来てくださったそうな。
ありがたーい! やはり現状を言葉で伝えるより、プロの目で見てもらったほうがうんと早くて正確だから。
たぶん、今よりは涼しいであろう来月あたりに来てくださることになった。
一緒に出動している愛犬のピョンちゃんも元気そうで何より。
小さき犬は、何となく生き急いでいる感じが怖くて、共に暮らしたいと願ったことは一度もないのだが、よそさまの小さき犬はとてもかわいい。
頭痛は筋緊張性のものだったようで、動き回って血流が復活したのか、あっさり消えた。
二度寝をたっぷりするはずが、眠気も共に雲散霧消してしまったのは惜しいが、まあいい。夜、早く寝よう。
学校デスマの疲労が全身に染み渡っていて、病み上がりの恐ろしさを痛感している。
「病気治った? じゃあ療養中の予定の分も詰めていきましょうね!」と言われても、無理、無理やねん。
ウイルスの排出が止まっただけで、快癒にはほど遠いねん。
たぶん当分はまだ、前のようにバリバリ働くことはできないと思う。
この感覚、新型コロナウイルス感染症をこじらせた人間しかわからないのがつらいところだ。
新型コロナが置きみやげにしていく易疲労感、本当に手強い。
夕方に、以前、拙著「最後の晩ごはん」のドラマ化でお世話になった千村監督が大阪での舞台挨拶の帰り、地元に立ち寄ってくださった。
めちゃめちゃ久し振りだ。
というか、よく考えたらサシで話すのは初めてかもしれない。
それなのに、何となく気が合う感じがずっとしていた。
老若男女を問わず、そういう人のことはずっと忘れないし、ブランクも感じないものだ。
監督は今、「100秒の拳王 ケンカバトルロワイヤル」という映画をひっさげて、各地の映画館を回っておられる。
バイオレンスか苦手ジャンルだな……と思ったが、せっかくなので、すでに鑑賞済みだ。
「女子高生が見られるように」と仰るように、むしろバトルの参加者のバックグランドを描くところに重心が据えられていた。
というか、無理矢理ジャンルにあてはめるなら、青春映画なのだ。たぶん。
それが、タイトルや予告編とのミスマッチになっている事実は確かにある。
ハードなバトルを期待して見に行き、ガッカリした人のものであろうレビューも見た。気持ちはわかる、と思った。
それでも、見て、落胆して、その上でレビューを書いてくれるというのは、良きにつけ悪しきにつけ、心に何かは残ったということだ。
そういう映画こそ、何故かいつまでも忘れないものである……というあるある。
キャラクターの掘り下げのほうも、ガチで掘り下げるには尺が足りていない。
物語を創るほうだから、つい(諸事情は推察するものの)配分のアンバランスは気になる。
でも、相変わらず監督は、芝居の上手下手ではないところで、若手の今をのびのびと輝かせたいのだなあ。と同時に、芝居が上手いベテラン役者さんを配置してピリッとさせたいのだな……と感じた。
主役の方の目がとてもよかった。強い力のある目だ。
立っているときゆらゆらしがちなのと、ちょいちょいお育ちのいい仕草が出てしまうのがかわいい。
色々と監督にお話を聞いて、映画を作るというのは、面白く、それ以上に苦しいものなんだなと実感した。
勿論、作家だって出版社から本を出してもらうには色々とあるわけだけれど、映画を撮るというのは、それよりさらにシビアに、理想とビジネスの狭間をぬいぬいと進まねばならない作業。
ひとりでできることではないから、大変なのだろうな。
うちの実家、ホラーを撮るには最適だと思うんですよね……みたいな話もした。
ところで昨夜から、仕事部屋で秋の虫が鳴いている。
猫に見つからないうちに外に出してやりたいのだけれど、どうにも見つからない。
速やかな自首を願いたいところだ。当方、虫取り網の準備はある。