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ちょいちょい書くかもしれない日記(敬老の日)

7月、新型コロナウイルスに二度目の感染をしたとき、これでは母の誕生日に面会に行けないなと、弟に「行ける?」と打診したことがあった。
弟は勤務先の病院にクラスターが出ないよう外出を控える生活を再び送っていたようで、「行かれへんわ」という非常にシンプルかつ不機嫌な返事を寄越したのだが、そのときに。
「姉ちゃん、もうそういう記念日とか節目とか、そういうのは母に対しては考えんでええで。盆も正月もなんもあれへんで」
というおまけのアドバイスがついてきた。
母の元主治医、しかも精神科医が言うならそうなんだろうな、というか、母は確かにもう、そうしたことを意識しなくなっているのだろうな、と思った。
思えば昨年、倒れる直前に自宅では最後となった誕生日祝いをしたときも、あれほどお祝いごとにはナーヴァスだった人が「誕生日? 誰の? ああ私の、へえ、そうなの~」と、酷く鈍いリアクションだったのを思い出した。
結局、今年の誕生日は、「月ごとにまとめてこちらでお祝いしていますから安心してください。毎月パーティです!」と施設の方に笑顔で言われて、罪悪感を減らしていただいた。
おそらく弟のあれは、たとえば感染症の流行が落ち着き、外泊が許可されるようになったとき、「年末年始くらい家族と過ごしたいのでは?」などと思いついたりしないように、という牽制と忠告が半々で混ざり合ったものだったのかもしれない。

でもまあ、無理なくできるときはやってもいいのでは? 祝われて嫌な人はあまりいないのでは?
そう思ったので、敬老の日には、ささやかなプレゼントをすべく面会の予約を入れた。
同じことを考えた人がたくさん来るので、面会はチョッパヤで済ませてね! という前フリがあった。
そうだろうな。高齢者がぎっしり詰まった施設やもんな。
母は相変わらずぼんやりしていて、私がわかっているのかわかっていないのか……と思っていたら、「髪の毛を切ったのね、そのほうがいいわ」と言い出して、今日はそれなりにわかっているようだった。
母の時間軸は毎日変わるようなので、今日はたまさか、近い過去にセットされていたのかもしれない。
プレゼントは、例年と同じものを敢えて用意した。
ディオールのジャドール、その中でも、髪にふわっと香りをまとわせるタイプのものだ。
販売が始まって以来、毎年、母の日にはこれをリクエストされていた。
母はこれがとても気に入っていて、香水より香りがやさしくて使いやすいわ、と外出のときに、ほんの少しだけ髪にスプレーしていた。
慣れた香りが少しでも記憶を呼び覚ますよすがになればと思ったのだが、母はまったく興味を示さなかった。
それどころではなかったのでこれまで誰も気にしなかったが、もしかしたら、コロナ感染時に嗅覚がやられたのかもしれない。
むしろ、ついでに持って行った猫のポストカードが母の気に入り、ベッドサイドに貼れと言われた。
猫たちのことももうあまり覚えてはいないのだが、末っ子のちびすけのことだけは、今日、口にした。
「信じないとは思うけれど、ちびすけがうち(実家)にいたときね、夜中に心配で覗きにいったら、綺麗な金色の光に包まれていたのよ。あれは、ちびたが帰ってきたって教えてくれてたんだわ。すぐわかった」
そっか。
いわゆるスピ系とは距離を置いて生きる所存であるけれど、一方で、世の中に不思議なことがたくさんあるのは知っている。
たとえ単なる母の思い込みでも、当時すでに出始めていたらしき幻覚だったとしても、それは何となく納得できる話で。
しかも、そうであってもなくても、誰も困らない話でもあり。
「やっぱりそうか」と言ったら、母は「そうよ!」と珍しく力強く断言して、胸を張った。
結局、枕に少しだけジャドールをスプレーしたら、「あら、ほんのりいい香りがするわね」と言ってくれたので、嗅覚は全滅してはいないようだ。
ならばと、ジャドールの残りは介護士さんに託しておいた。
「香りは脳へのいい刺激になりますから、ちょいちょい使ってみますね!」と言ってくださった。
今日のお夕飯は、敬老の日の特別なお膳だそうだ。母が、美味しく楽しく食べられたらいいな。

明日からまた講義がぎっしりだ。
3週目も、頑張っていこう。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。