ちょいちょい書くかもしれない日記(消えた午後便)
新年早々、キリのいいスキ数!
いつもたくさんの方に読んでいただいていることが実感できて、とても嬉しいです。
自分のために書いている他愛ないものではありますが、楽しんでお付き合いいただけましたら幸せです(前文終わり)。
今日は終日家から出ないぞと心に決めていたので、重い食材と飲料とアイスクリームをネットスーパーで注文しておいた。
午後便しか空きがなく、時間指定は特にしないが、午後に来るんだろうなと高を括って二度寝を決め込んでいたら、まさかの10時過ぎにインターホンが鳴った。
「山の上、通行料がいるんで、まとめて配達したいんですよ。町内の誰かが午前便を指定したら、午後指定がない限り、みんな午前のお届けになります」とお兄さんが笑いながら説明してくれた。
そういえばそうだ。午前便を指定したら正午寸前、午後便を指定したら正午直後に来るパターンが多くて、何だか申し訳なくて時間指定をやめたのを思い出した。
何にせよ、玄関先まで運んでもらえるのはありがたいことだ。
母がしていたとおりに、お年賀のささやかなお菓子を差し上げた。
SNSでは色んな人が、奇跡の連休の後、明日からの仕事再開に向けてたいへんブルーになっている。わかる。
私は、自営業だけにのべつまくなしに仕事をしてしまう悪癖の持ち主だが、こういうときは、それも言うほど悪くないかもな、と思う。
いったん動きを止めてしまうと、次にエンジンを掛け直すのが物凄く大変な性格なので、アイドリングを続けるくらいのやんわりした休み方が向いているのだろう。
今年も、大晦日も元日も何かは書いていた。
ただ、何もしないことが怖いというのはあまりよくないので、今年はこの恐れを取り除きたい。
そうは言いつつ、何もしていないつもりで何かはしちゃうんだろうな、とはらたいらさんくらいの掛率で予想するわけだが。
そういうことなら今年こそ、楽器を習いたい。
私は怠け者の上に勘が悪く、独学では変な癖しか身につけない自信があるので、きちんとマンツーマンの教室に通いたい。
まずは型にはめられたいタイプなのだ。
ピアノのレッスンも久し振りに受けてみたいが、今のところ、いちばんやりたいのはウクレレだ。
なにしろ恩師の形見分けで、弾けもしないものを貰ってきてしまった。
恩師も、弾けもしないのに持っていたらしいので、さすが師弟、気が合うな……というやつだが、このままではあまりにウクレレが哀れである。
子供の頃はピアノ一辺倒だったので、ウクレレのように、簡単に持ち運べてどこでも演奏できる軽やかな楽器には根強い憧れがある。
そういう意味では龍笛も軽い楽器なのだが、あれは吹いていると右耳とうなじに負荷が大きい。
あとハチャメチャに音が響き渡るので、場所も選ぶ。
一弦琴も弾けるが、間が持たない。もっとガシガシとリズムを刻みたくなってしまうのだ。
庭に来る小鳥たちのために、ファットボールとみかんを提供している。
みかんは、剪定後の庭木の枝にブッ刺しておくのだが、今朝、メジロのお食事どころを務めてくれている蝋梅が、金色の花を咲かせていた。
中高の国語の先生のお宅から枝を貰ってきて根付かせた、思い出深く大事な1本だ。
上品で豊かな香りは、先生のふっくら整えた髪と、平安美人とはこうであったろうかと思わせる笑顔と、国語準備室でお喋りしながら一緒に食べた六花亭のホワイトチョコレートを思い出させてくれる。
先生とは文学の好みがまったく合わなかったが、だからこそ、異なる視点、異なる解釈をたくさん教わった。
一度呑み込むことの大切さも、先生に教わった気がする。
ド正論で角を立てる生き方にかっこよさを見いだす人は、それを柔らかく受け止めてくれる人に甘えているのだな、と後になって感じた。
そういう意味では、私は先生にたいへん甘やかしていただいたことになる。
「認知症で施設に入るから、これが今生の別れよ」というたいへん潔いお電話をいただいてもう何年経つだろう。
私はなんと返事をしたのか、もう思い出せない。ビビりたおしたことだけは確かである。