見出し画像

ちょいちょい書くかもしれない日記(阪神淡路大震災)

色々思うことはあるけれど、結局のところ、大災害からの復興には本当に長い年月がかかるので、遅いの早いの、足りないの何のとでかい声で怒鳴り合う外野をよそに、現地の人たちは苦しみながら、助け合いながら、少しずつ立ち直っていく街に喜びながら、寂しさや悲しさや虚しさを抱えたまんまで毎日生きて30年だよ、と思う。
うちの父や祖母もそうだが、30年のうちにたくさんの人が死んでいった。
だんだん、震災当時のことを知る人は少なくなっていく。
記録を残すことは大切だが、語り部的な、頻繁かつ継続的に同じ経験を語り続ける行為の危険性を強く感じているので、私自身は、あんまり喋らんとこ、と思いながらこの30年を過ごしてきた。
そもそも人間は、ニューロンのレベルから情報の取捨選択を重ねながら生きている。
見聞きできる範囲、感じ、さらに覚えられる情報は、自分が思っているより狭く少ない。
そして言語化するたび、記憶は本来の姿から少しずつずれていく。
それは誰にでも起こる自然なことだが、それが「聴衆の反応がいい」ほうへのアレンジとなると、やはり聞き手がそれを勘定して拝聴しないと危ないな、と思うのだ。
一方で、経験者しか語れないこと、経験者からしか得られない細かな、パーソナルな情報もある。それはとても大切な、他では得難い記録となるだろう。
語り継ぐことの功罪を考え続けた30年でもあったように思う。

毎年この日は、電気とガスと水道、それに加えて当時はなかったインターネット環境というライフラインやインフラがここにあることに、深く感謝する。
勿論、それを守り支えてくださる方々、会社への感謝である。
あって当然のものは軽視されがちだけれど、一度でもそれなしの生活を送ってみれば、ありがたみを痛感するというものだ。
生活も仕事も、ひとりでは何ひとつできない。
ただ生きているだけで誰かのお世話になっているのだから、自分が役に立てることがあれば、持続的にやれる範囲でやっていきたいと思う。

いいなと思ったら応援しよう!

椹野道流
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。