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ちょいちょい書くかもしれない日記(ブートキャンプ)

臨時の補講を頼まれた学校も、3日目の今日で最後。
圧倒的に時間が足りないものの、やれるだけはやった。
学生たちに「先生、国家試験前にもっぺん来てよ」と言われた。それはとても難しいけれど、まずは学校に願うがよいと伝えた。
教え子担任は、今日もでっかいハンバーガーを奢ってくれた。
「先生、ハンバーガーめっちゃ好きですね」と言われた。
好きだが? いやでも、これはそういうことではなくて……まあいいか。
教え子に奢られることこそが感慨深くて嬉しいのたと、いちいち伝えるのも照れ臭い。
今日は持参するテキストを1冊だけにして、電車で行った。
電車もそれなりに時間がかかるので退屈ではあったし、途中まで座れなかったのと、やっと座れたと思ったらシートがとてつもなく汗臭かったのと、駅からの歩きが思ったより長かったのとで、着いたときにはすっかりくたびれていた。
帰りの渋滞とどっちがしんどいか、というのはなかなか微妙なラインかもしれない。最終日だから、もうどうでもいいのだが。
帰ろうとしたら、学生たちに「先生、今からみんなでブートキャンプやるんだけど、一緒にどうですか?」と誘われた。
ブートキャンプ?
ブートキャンプってアレか? 
令和の世にまさかね。
首を捻りながら、まあいいかと参加したら、マジで往年のアレだった。
嘘だろ。久しぶりですねビリー隊長。
言うてる場合か。えらいもんに参加してしもうた。
ガタガタの身体を、さらに酷使することに。
なんで頭脳労働しに来て、汗だくで帰途に就くねん。
しかし、今どきの子でも、偶然学校で見つけたブートキャンプ、面白くてはまるんだな。
ああいうものは、定期的に流行るのかもしれない。

帰りに大阪駅で降りて、デパートに入っている介護ショップで、母のために下着シャツを買い足した。
施設に入ったときに揃えたものの、マジックテープがそろそろダメになってきたらしい。
前開きは当然として、脱ぎ着、あるいは着せ脱がしが簡単なように、スナップとマジックテープの選択肢が、その店にはあった。
入所時の買い物をしたときは、ちょうどスナップ式のものが品切れしていて、マジックテープで前を留めるものを何枚か買った。
「本当はね、スナップ式が割高ですけどお勧めです。より長く着ていただけるので」と店員さんは残念そうに言っていたが、なるほど、生地より先にマジックテープ部分がダメになるという意味らしい。
マジックテープをつけ替えることも考えたけれど、聞けば生地自体もだいぶ毛羽立って薄くなっています、とのことだったので、さっぱりと買い換えることにした。
今回は、スナップ式にした。スナップといっても、かなり大きい。他人が着せつけるときも、これなら簡単そうだ。
ついでに、靴下を3組と、日中に着るものも、2着ほど新調した。
3日分の臨時収入を惜しみなく使う所存だ。まだ受け取ってはいないが。
ここの靴下は、足首部分を敢えてガバガバに作ってあるので、両足首が変形して太くなった母でも、締めつけなく履けて本当にありがたい。
服は、正直言って最初に見たときは「ダサい……途方に暮れるほど全方位ダサい」と思ったが、売場の人の「私もそう思ったんですけどね、実際着ていただいたら、ちょうどいいんですよ」という言葉を信じて買ったら、本当だった。
やけにどぎつめの色使いは、高齢者の顔色を明るく見せてくれるし、もっさりしたデザインは、着心地の良さと安全性を担保している。
もう施設外には出ないし、着るものにも頓着しなくなってしまった母ではあるが、だからこそ小綺麗な、心地よいものを着せてあげたいと思う。
「売るほうだから言うんじゃなくて、私も介護するひとりとして言うんですけど、お年寄りに着せるものはね、本人が気にしなくても、やっぱりいいものを着せたら本人だって心地いいんですよ。そしてお世話するほうだって、綺麗な服、お洒落な服を着ている親を見ると何だか安心するんですよ」
売場の人は、商品を丁寧に包みながらそんなことを言った。
それな。本当にそれな。
母のためと言いつつ、きっかり半分は自分のためだ。
母のお世話を他人に委ねる決断をした罪悪感から、せめて物質面では不自由をさせまいとするのだろう。
「もうすぐ美容院の出張が入るので、そろそろヘアカットをと思うんですが、どうでしょね」
荷物を届けたら、施設でそう問われたので、勿論、よろしくお願いしますと答えた。
入所したとき、母は髪の乱れをとても気にしており、手持ちのブラシを「貸したげる」と言って置いていったのだが、もはや、母自身は髪を気にすることはないらしい。
入所して9ヶ月。衛生面と体調は、おかげさまで倒れたときより劇的に改善した。でも、認知症は思っていたより早く進行しているようだ。
私自身の心は、今でも揺れ続けている。
そのときどきの「どうしよう」を解決するだけで精いっぱいで、先のことを遠く見晴るかすことは、まだできそうにない。
それでも、1日1日、あるいはそのときどきだけを生きるようになった母が、どうすれば快適で、心穏やかでいられるかをいちばんに考えるようになった。
有意義かどうかとか、実りがあるかどうかとか、そういうことは、もういいのだと思う。


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椹野道流
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