ちょいちょい書くかもしれない日記(新幹線)
個人的にはコロナ禍は明けていないという認識だが、それでも確実に外に出かけてやる仕事が増えた。
世の流れには抗ってもあまり意味がない。
母に憂いなく面会できるよう、自衛に努めるのみだ。
人の集まる場所ではマスクをつける。
できるだけ風の通る場所に身を置く。
帰ったらすぐ手を洗う。
もはや習慣となったことを続けながら暮らしている。
今日も日帰り上京した。
もう母が家にいないので、午後6時を過ぎた瞬間、3分おきに延々と電話がかかってくるあの恐怖に怯えることはない。
「あるものを食べるから大丈夫よ、心配しないで」と朝に送り出してくれたはずの母から、電話越しに「私は何を食べたらいいの、ひとりぼっちで捨て置かれて!」と喚かれることも、もうない。
でも、猫たちがいるので、そして何より宿代が高すぎるので、日帰りするのである。
ここしばらくの上京では、厚い雲に阻まれて富士山が見えなかった。
今日は、腹巻きのような雲はあったけれど、まずまず綺麗に見えた。
残雪は細い筋程度。夏が来たのだなと実感する。
後ろの席のアメリカ人のおっさんに、「あれがマウントフジか?」と訊ねられたので、そうだよと答える。
おっさんは、「思ってたんとちゃう」というニュアンスの感想を残念そうに口にした。
ああ、まあわかる。
もうちょっと雪があればよかったんだけど、季節がね!
それでも、富士山は美しい山だよ、と言ったら、「とてもかたちがいいね」とのことだった。
私もそう思う。
彼の地元コロラドのロッキーマウンテンの自慢をされたので、知ってるよ、とジョン・デンバーの例の歌を軽く口ずさんだら、物凄く喜んでくれた。
あの歌は日本でも有名なんだよ、でも、日本語版の歌詞からは残念ながらコロラド成分が抜き去られてしまったんだけど、なんて話をした。
用事を済ませて、帰りにお気に入りの弁当を買った。夜食にするのだ。
今日は、売り場に調理担当の人が来ていた。
年配の男性だった。
お客さんの反応をじかに確かめたくて、時折、レジ前に立つのだという。
仕事に対して保ち続けておられる真摯な姿勢に、頭が下がる。
「先日、勧められて買った新商品ののり弁が物凄く美味しかった。これまで食べたのり弁の中でいちばん美味しかった。私がのり弁に望むものが全部入っていた」と言ったら、その人はちょっとビックリしてからとても嬉しそうにくしゃっと笑って、
「お客さん、上手に誉めてくれますねえ。あれは、よそで食べたのり弁が旨くてね、自分でも作りたくなっちゃったの。そう、気に入ってくれましたか。ああ、よかった。厨房の皆に伝えますよ」と言った。
小さく徳を積んだ気がする。
ポジティブな感想こそ言葉を惜しまず、こまめにはっきり伝えていこうと思った。
買った弁当を提げ、新幹線の発車時刻までまだ20分あるな、と、カレーを食べに走ったことは特に反省していない。
ごはんはちゃんと小盛りにした。