ちょいちょい書くかもしれない日記(曜変天目)
父が遺したややこしい案件のひとつを片付けるべく、上京した。
行きの新幹線は、時間が早く、平日ということもあり、まあまあ空いていた。
通路向こうにお母さんと一緒に座っている中国系の女の子は、たぶん3歳か4歳くらいだろうか。
自分用らしきタブレットをフツーに操り、子供番組を次々と楽しんでいた。
そうか、君は生まれたときからそういうものと当たり前に一緒なんだね、と何だか感慨深かった。
幼い私がずっと仮面ライダーの変身ベルトを腰に巻いていたように、彼女はいつもタブレットを小脇に抱えているんだなあ。
番組の音声が気にならないと言えば嘘になるが、小さい子にヘッドホンやイヤホンをしてほしいわけではないので、そこは私のほうがイヤホンをすることにした。
用事は、進行したようなしなかったような、だった。
まあ、じっくり取り組むより他はなかろうと思う。
とにかくやるべきことを済ませて、帰る前に東京駅近くの博物館に立ち寄った。
河鍋暁斎と松浦武四郎の特別展示が見たかったのだ。
菅原道真を共に信仰していたふたり。
私は道真忌が誕生日なこともあって、何となく菅原道真には幼い頃からご縁を感じている(と、祖母に言い聞かされて育ったせいだと思う)。
道真関連の展示は特に興味深かった。
点数は少ないが、暁斎の作品は細密な、友情や愛情に満ちたものばかりで、とてもよかった。
なんというか、他人様の鑑賞スタイルをどうこう言うつもりはないが、特に高齢者の方々は、展示というのはスタートからゴールまで丹念に順番に見ていかねばならないという気持ちが強すぎやしないだろうか。
いや本当にいいんだけれど、序盤はすし詰め、中盤以降はスカスカという不思議な感じの人口分布になっていて、おかげで、最後の展示室にある曜変天目の茶碗を、ガラスケースの前にたったひとり、ぽつんと立って、四方から存分に見ることができた。
正直、映像や画像で見たときには、「ブツブツしていて、なんか気持ち悪いなあ」とまで思っていたのだ。
それなのに、実物を見たら、その美しさに度肝を抜かれた。
どこまでも沈んでいけそうな深い深い青。なんて美しいんだろう。
深海、宇宙……そんなありきたりな言葉しか思い浮かばないけれど、そうなのだから仕方がない。
ブツブツは、まあ、ブツブツだった。そこだけは、あまり得意な感じではない。
それでも圧倒的に美しいと感じるのだから、凄い。
あまりにも入場料が安かったので、ショップで書籍と……曜変天目茶碗のぬいぐるみを買った。
ほぼ実物大だそうだ。思ったほどはふかふかしていないのだが、そこがむしろ茶碗らしくていいのかもしれない。
東京駅に戻ると、いつもは長蛇の列のみはしがまだ空いていて、久し振りに店内でクリーム白玉あんみつを食べた。
白玉は芯がほんのりあったかく、店内で食べるあんこは氷のように四角く切り出され、ソフトクリームは濃厚だった。
途中で、盲導犬とご主人が、介助をする人と一緒にいらした。
ご主人様が甘味を楽しむときは、盲導犬もおやつを貰うそうだ。よかったねえ。嬉しいねえ。
グランスタにあった松露は、大丸に引っ越していた。
以前は、私が大好きだったさつま揚げの店、徳永屋の出店が入っていたところだ。
ちょっと複雑な気持ちで、ハーフサイズの玉子焼きを買った。
お惣菜を始めたんですね、と言ったら、「初めての試みなんですよ!」と弾んだ声で仰る。サイズが小さくてちょうどいい。野菜の一品も買うことにした。
「なるほどねえー!」
隣でそこそこでっかい声がしたので何だ? と見たら、同じフロアのお弁当屋さん、升本の店員さんがお惣菜を眺めていた。
「なるほどねえ」
もう一度繰り返し、頷いて、彼は特に何も買わずに去っていった。
ジロジロ見たからには、「美味しそうだな」くらいは言うていきなさいよ。
あとでその升本にも寄って、初めてのり弁を買ってみた。
以前、評判ののり弁専門店のものを試して、「俺のと違うな……」という顔になったのだが、升本ののり弁は、まさに「俺の」のり弁だった。
すべてがちょうどよかった。
次も、見つけたら買ってみたい気がする。
でも「なるほどねえ」は、あんまり感じがよくなかったぞ。
帰宅したら完全なる電池切れで、しばらく動けなかった。
これからまだ数日は忙しいので、体力の配分を考えなくては。
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。