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ちょいちょい書くかもしれない日記(車椅子チェンジ)

新型コロナに感染したせいでしばらく行けなかった母の面会に、朝から行ってきた。
施設の午前の面会は10時半と決まっていて、あらかじめ予約する必要がある。
マスク着用は当然として、面会人数は2人まで、時間は20分以内、居室での飲食は禁止と、感染症対策がかなりしっかりしている。ありがたい。
母は共用スペースにいたようで、車椅子でゴロゴロと介護士さんに運ばれてきた。
ちょっと痩せた、と感じた。
昨夜、新しい職員さんが夜勤だったため、「知らない人が来た」と警戒して不穏になり、夜遅くまで眠らなかったのだそうだ。
認知症の患者には、馴染みでない相手に対する警戒心が強い人がいる。母もそのタイプだ。
どうにも虚ろな感じなのは、寝不足のせいもあるのだろう。
挨拶して名乗ると「ああ」と母はようやく表情を緩めたものの、特に何の感慨もないようだった。
喜ぶ風もなく、いきなりトイレに向かい、「介助お願いします」と言った。
弟は、以前に面会に来たとき、「相手のことはちゃんとわかっとるで」と言っていた。
でも、たぶん、弟が思う「わかっている」と、私が思う「わかっている」はまったく違うのだ。
それは、病に倒れる前から滅多に母に会うことがなかった息子と、ずっと同居~半同居だった娘との間に横たわる、決して越えられない川のようなものなのだろう。
母は、私のことは覚えている。施設の人にもよく私の話をするらしい。
でも、目の前にいる人間がその「自慢の娘」であることは理解できない。
それでいいのだ、と思う。
家のことや、私のことをいつも思って恋しがるようでは、母があまりに可哀想だ。
私にとって母は変わらずリアルだが、母にとって、私はもう思い出の中にいる美しい生き物なのだろう。
母はもう、今そのときだけを生きる人なのだ。
それでいい。
本心からそう思いつつも、喉元をガリガリと掻きむしられるような息苦しさを感じる。
会って3分で母が本格的に寝てしまったので、そのまま居室で、ケアマネさんと色々と話す。
普通、施設では身内代表をひとり決め、その人とだけ入居者の状態について報告したり相談したりする。
例のカリフォルニアから来た娘的なトラブルを避けるためだ。
ただ、うちの場合は、母の主治医が弟であるため、健康状態については弟に、諸々の手続きやお金のことについては私にと、先方が連絡先を分けてくれている。
「実務はお嬢さんじゃないとダメね」と、管理者さんが笑っていた。よくおわかりで。
今回は、母の介護認定の更新についてケアマネさんと相談するために会ったのだが、更新手続き自体は先方にお任せできるらしい。本当にありがたい。
ケアの今後の方針についても報告をいただき、書類にサインをしてきたのだが、母の車椅子が、ブレーキを解除しても動かないのでそのことを伺ったら、いつの間にか車椅子がチェンジしていた。
気づかなかった……!
どうやら車椅子から立ち上がるとき、ブレーキをかけ忘れることが最近増えてきたらしく、そのせいで何度か転倒したらしい。
転倒の報告は主治医たる弟へ行くので、私は知らなかったが、「転倒については一切施設を責めないので、歩くことを咎めないでやってくれ」と最初に姉弟の共通見解として施設側にお伝えしてある。
母は両足首が変形してしまっているので、転倒自体に特に驚きはない。
ただ、「それで、立ち上がったらブレーキがかかり、座って車椅子を少し動かそうとしたらブレーキが解除される車椅子に替えてみました。レンタル料が少し割高なのですが、よろしければ正式にこちらに変更を……」と言われたときは、少し驚いた。
そんな便利なものがあるのか~!
割高でも、安全にはかえられない。構わないので、そのほうがよさそうならば、正式にレンタルしてくださいとお伝えした。
ブレーキは、手動でもある程度は操作できるようになっているそうだ。
母から「できること」を取り上げないように心がけながら安全性を高めてくれていること、感謝に堪えない。
結局、ごうごうと寝ている母を見ながらあれこれと相談ごとを済ませ、買い物をして帰宅した。
母に会うと、帰り道の心がいつもざわざわと嫌な感じに波立つ。
病に倒れる前は断固拒否だった医療や介護を、弟の治療の甲斐あってすんなり受け入れるようになり、今、施設で面倒を見てもらえていることは、本当にありがたい。
母だけでなく、私もまた救われている。
でも、あれだけ働き詰めだった精力的な人が、人生の最終段階で今の生活になってしまったことに、何とも言えない痛みがあるのだ。
そうなる前に、何か近くにいる娘としてできることはなかっただろうか。
幾度も蒸し返しては、「いや、私、精いっぱいのことはしたわ。あれ以上はどないもこないも無理やったわ」と思うのだが、それでも。
本当は、たくさん楽しいことをして、おいしいものを食べて、行きたいところへ行って、いっぱい笑いながら人生を締め括ってほしかったな……と、娘は勝手な望みを今日もボリボリと噛み砕く。

それはそれとして、ついに15年の努力が実り、私の庭でカラスウリが咲いてくれた。
とても嬉しい。
そして、夜の深い闇の中で咲くましろの花は、たとえようもなく美しい。
庭仕事、頑張ってきてよかった。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。