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ちょいちょい書くかもしれない日記(満月だった)

スキが積もって50,000回! ありがとうございます。数がすべてではないけれど、数は凄いパワーを持つなと感じています。これからも覗きに来てくださいね(前文終わり)。

今日は資源ゴミだなと思いながらあれこれとまとめていたくせに、途中から生ゴミを出す日の気分になってそっちもまとめ、「いやそれは明日やん」と気づく。そんな朝。
「今日さあ、一瞬木曜のつもりでいたけど水曜やったわ!」
「そんな、暇な年寄りみたいなこと言って。しっかりしてよ」
そんな他愛ない会話が、思いついたらすぐできていたというのは、恵まれていたのだなあ……とふと思う。
突然の実家消滅から1年あまり経ち、ようやく親の後始末も終わりが遠くに見え、新型コロナウイルスにめためたにされた身体も少しずつ回復してきて、やっと寂しさを感じる余裕ができたのだろうか。
別にそれが嬉しいわけではないけれど、必要なプロセスではあるのだろうなと思う。
むしろ、死んだ父より、まだ生きている母について寂しさを感じることのほうが圧倒的に多いのが、若干困惑する事態だ。
生前の心の距離感というものに想いを馳せる。

距離感といえば、まだ外に出ると「夏やん!」と思う今、友人に「それで今年も年末年始はうちに来るの?」と訊ねる羽目になっている。
正月のご馳走的なものたちの予約が、早いところでは今週始まってしまうからだ。
恐ろしい。年末はもう我々の背後にひたひたと忍び寄っている。
そして、庭の虫たちと猫たちは、私を置き去りに秋を満喫しているようだ。
夜の虫の声が凄いことになってきたし、猫たちは朝から集団でおやつをカツアゲしてくる。
恐ろしい。本当に秋は来ているのだろうか。

今日も学校で講義。
去年の今頃もお邪魔していたが、当時は病み上がりというか正直まだ病中だったので、だいぶヘロヘロしていたと思う。
今年は、たまに咳き込むものの、ちゃんと声が続くことに回復を感じる。
偉い人がそこそこ短いスパンで替わるシステムなので、教育に対するスタンス……というか、仕事だからやむなくやっていますという人と、どうせなら自分にも学生にも実り多き時間をと考える人との落差が激しい。
今年からの偉い人は後者とお見受けした。とてもやりやすいし、期待に応えたいとも思う。
私は、学生さんには真剣に、でもどうせなら楽しんで学んでほしいと思い、そのようになるよう努力し、工夫している。
それを喜んでもらえるのでありがたい。
たまにその、講義を楽しくしようとする努力を、「あいつは人気取りのために学生に媚びている」と真顔で非難し、嘲る人もいて、なんだかなあ、である。
何につけても、面白くないよりは面白いほうがいいと思うんだけどなあ。
「面白い」にも色々あるし。
あと、人気があろうとなかろうと、非常勤講師の給料は同じだよ。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。