ちょいちょい書くかもしれない日記(面白くない)
猫が5匹いると、だいたい誰かは寝ていて、誰かは起きている。
深夜、突然スイッチが入って走り回り始めた末っ子が、寝ている私の身体の上を斜めに横断し、そのとき、みぞおちを思いきり踏んでいった。
大きくなったとはいえ兄たちに比べれば軽い猫だ。
それでも、猫の「手のひら、足の裏」はとても小さいので、体重がピンポイントにそこにかかる。けっこう痛い。
眠気がシュッと撤退したので、布団の中で、「こういうのはよくないねえ」などと呟きながらも、ついスマホを弄り始めた。
ふと気になって、「そろそろいっぺんチェックしてみるか」と、「日本の古本屋」のアプリを開き、15年前に死んだ恩師の名前を検索してみる。
おお、珍しや。1冊だけ、在庫が出てきた。
私が知らないタイトル、奥様との共著、しかもいわゆる薄い本こと同人誌だ。
サイトには格調高く「私家版」と説明されていたが。
恩師は同人出版をするのが大好きな男だったが、その内容はといえば、医学の歴史やら、中国の何かやら、下手クソな歌集やらで、まあ、ことごとく面白くなかった。
学者の書く本は、真面目な人であればあるほど、ありのままを正確に誠実に一切のハッタリや虚飾なく、というスタイルをとるが故に面白くない。
そういえば私は、「君なあ、アブストラクトを無闇に面白うせんでええんやで。火曜サスペンスの番組紹介と違うんやから」とよく上司に叱られていた。
およそ学者には向いていなかったのだろう。
恩師は本を出すたびに「乞うご高評」というメモを添えて私に贈ってよこし、私はいつも「マジで面白くないっす。読むの大変でした」と正直に感想を返していた。
「面白くなくていいんだ、馬鹿者め」と渋い顔をしつつ、「もう読んだのか」と、とても嬉しそうにもしてくれる人だった。
読んでくれる人がほとんどいなかったんだろうなと思う。
私だって、教え子でなければ絶対に読まなかった。
生きている間にくれた本は見事に全部面白くなかったが、私が知らない時代に出した本はどうなんだろう。
余計な好奇心で、ここ数年、恩師が若い日に出した同人誌を見つけて買うようになった。
どれも、本気で面白くない。
しかし、それでいいのだ。私が知らない恩師の遠い記憶をのぞき見できるのは、それだけでちょっと楽しい。
そして、誰が必要とするんだ……と思うような薄い本までちゃんと取り扱い、流通させる古書店の凄みとありがたみというものを、しみじみ感じている(そして、意外と強気なお値段がついている)。
たぶん今回ゲットした本も、面白くないんだろうな。
面白かったらどうしよう。きっと、動揺しちゃうな。