ちょいちょい書くかもしれない日記(父の置きみやげ)
父の診療所を代理で畳んでもうすぐ2年になる。
しかし、父が引き受けていた色々な仕事のいくつかは、まだ後任が見つからず、私が代わりに引き受けている。
今日は、昨日の疲れが全身に染み込んでいて、朝、なかなか起きられなかった。
末っ子がぴゃーんと鳴いて駄目なときは、長男猫が自重にものを言わせて、胸部圧迫を始める。
本当に胸骨がミシミシ言うのでやめてほしい。
逆心臓マッサージである。殺す気か。
まあ、そうは言っても起きないとヤバい時間だったので、ありがたく起床し、猫たちの世話をしてから仕事に出た。
父が遺した仕事の中でも、業務内容的には比較的マシなやつだ。
ギャラは、ごく控えめに申し上げて酷い。
先方に「今年限りにしたいので、早く次を見つけてください」と重ねて(もう20回めくらい)言ったら、「いやあ、探してはいるんですが、なにぶんお給金がね」とのこと。
安すぎる自覚があるなら、さっさと改めたまえよ!
「私もそう思うので、一刻も早く辞めたいんです。来年はマジで来ません」と真顔でお伝えしておいた。
帰りしなに、岩木屋の「雪国のクリームシチュールー」を三袋買った。
たちまち機嫌が上向く安いヒューマンである。
両親揃って好きでなかったので、実家で食事を作っていた頃は食べられなかったクリームシチュー。
私自身は大好きで、ひとりになってからはわりと頻繁に作っている。
ジャガイモが重いので、かわりにカリフラワーを入れるようになり、ますます食べやすくなった。
知人が送ってくださるカリフラワーが、それはもう大きく新鮮で美味しい。
ゆえにスーパーで買うカリフラワーの、ちょっと日ぃ経ってるな感と小ささ、味の頼りなさにはガックリくるが、まあ、これはこれ、である。
ジャガイモは、他の……それこそ肉じゃがやコロッケ、ポテサラで美味しくいただいている。適材適所というやつだ。
色々なルーを試したり、小麦粉からやったりしたが、結局のところ、岩木屋の「雪国のクリームシチュールー」が群を抜いて旨い。
これはもう、珍しく自信を持って断言してしまってもいい。
とても、さらっとしたさりげないクリームシチューができる。
強いとろみも、謎の甘みも、私の好みではないのだ。
マッシュルームの大袋と、白いまいたけもあったので買った。
最近、私の中でまいたけが熱い。
お値段高めではあるが、「雪国まいたけ極」はマジで旨い。
そんなに違うでござるかぁ? という猜疑心いっぱいで試してみたら、実際、ぜんぜん違った。
白だしでさっと下味をつけ、米粉をはたいて油多めで揚げ焼きにする食べ方が、今はいちばん気に入っている。
原稿をやりたい気持ちはモリモリなのだが、帰宅したらガスが抜けた風船みたいになっているので、ひとまずは寝た。
寝たのは浅めの夕方だったはずなのに、起きたらビックリの夜になっていた。
疲れ過ぎてあまり食欲がないので、正月の残り食材でお雑煮を作って食べた。
餅はどんなときでも食べられる。
でも、今夜は仕事はちょっと無理かな。
療養と執筆を両立することの難しさを、日々感じている。
短時間、元気っぽく振る舞うことはできるし、仕事のときは努めてそうするが、その結果、「病気を理由に都合よく仕事をさぼっている。楽しいことはできるくせに」みたいな誤解が生じたりもする。
まあ、当事者かその身内になってみないとわからないことはあるものだ。
私だって、高齢者の介護についてはそんな感じだった。
自分の体調は、医者にかからない限り自分しか把握できないので、しんどさと付き合いながら、ちょっとだけの無理でやれるだけ頑張るのだ。