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ちょいちょい書くかもしれない日記(猫流し)
外に出た新入り猫が戻ってきたとき、見逃さないように……と手配したWebカメラが、一件落着してからサラリと届いた。
こういう無駄は嬉しいものだし、こっち都合なのに返品して店にご手数をかけるなど、私の中では言語道断だ。
とはいえ、ただ寝かせておくのもな……と、試しに仕事部屋の(比較的綺麗な)一角をライブ配信してみることにした。
そこに猫たちがいる間だけ、特に何もしない、という怠惰な配信だ。
うちの猫たちが動いていて、同じ部屋の中で見ているように感じていただけたら、しんどいとき、ちょっとでも気が紛れたり、ほっこりしたりしていただけるだろうか……などとおこがましいことを思った。
本当にそうなっているといいのだが。
あと、どこでも配信に使えるように、仕事部屋を片付けようという謎のモチベーションも生まれた。
液晶から離れ、目を休める時間がマストになってしまったので、そういう時間に少しずつ片付けを進めようと思う。
主にそこここに積まれた本をどうにか。
亀の歩みだが仕事をやっていて、ふと明日は誕生日だなあ、と思った。
もはや凄く嬉しいというわけではないが、無事……ではないにせよ、あれこれありながらも、やっと親をひとり、おおむね後腐れ無くあの世へと送り出せたことには安堵している。
こんなに手間と時間がかかるものかと心から驚いた。
同時に、去年に引き続き、人間、ひとりではなーんもできんな! と痛感する1年でもあった。
どんなに微力でも、誰かの役に立てそうなときには躊躇すまい。
何かをやってあげるなんて大層なスタンスではなく、「ドサクサに紛れ、ミクロな徳を積ませていただきにめぇりやした!」くらいの感じで。
明日は毎年声をかけてくれるハウスクリーニング業者に、エアコン2台の掃除と水回りの掃除をお願いすることにした。
今の時期が最高に暇だと聞いてから、おおむねこの時期にスケジュールを入れてもらうようにしている。
分解したものをもとに戻すのが致命的に下手なので、私とエアコンとユニットバスの長寿と繁栄のため、プロに任せるが吉という結論に達したのである。
以前より、「掃除の日程が決まったら、後はお掃除の手を抜いて! 汚れていればいるほど、掃除を頼む値打ちがあるでしょ」と業者さんに言われている。
この1ヶ月あまり、言われたとおりにしてきたため、コンロまわりの汚さときたら目を覆わんばかりだ。
しかし、ここは汚し屋の仕事をまっとうすべく(そんな仕事はないよ……)、仕上げ作業が必要では?
今夜は、晴れ晴れしい気持ちで揚げ物にしようと思う。
一方で、セコムのお掃除業者が来る前日には必死になって掃除をしていた母の気持ちも、今は少しは理解できる。
自分のテリトリーが汚れているところを、他人に見られたくなかったのだろう。
とはいえ、廊下にもあらゆる部屋にも積み上がった常軌を逸した量の荷物のほうが、よほど他人に見せてはいけなかったものだと思うのだが。
それについては平気でスルーしていたのが、やや不可解ではある。
認知症というのは、人の根底にある気質さえも変えてしまうものなのだろうか。
かつての母は、「片付けなさい!」が決まり文句だったし、部屋を綺麗にするためなら、手当たり次第、何でも捨てるタイプの人だったのに。
私はむしろ、「汚れているからこそ、業者に頼むのです」と菩薩のように穏やかな顔で、涼しく構えていようと思う。
プロの時間と手間と技術を、働いた稼ぎで買わせていただくのだ。
別の業者に、料理もお願いしてみたい気持ちはあるが(他人様の作ったものが食べたいという発作は、ときどき起こる)、私自身が、作り置きというシステムが苦手なので、今のところは二の足を踏んでいる。
冷蔵庫に、腐らせないように管理して着々と食べていかなくてはいけない料理がたくさんある……と思うと怖くて、プレッシャーからつい目を背け、カップ麺にお湯を注いでしまう。
そういう謎行動をとる人類も、存在するのだ。
というわけで、今は、ロイヤルホストの冷凍食品をストックすることで、他人様の味を欲する気持ちと上手く付き合えている。
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