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ちょいちょい書くかもしれない日記(紐が抜けてもひとり)

咳をしてもひとり、という句があるが、あれはずいぶんと高級な孤独という感じがする。
今日、客人に話してやっと成仏した感のある話なのだが、先日、いわゆるブン○ンチョッパー類似のガジェットで野菜を刻もうとしたところ、引っ張ってブレードを動かすはずの紐がスポーンと抜けた。
あとに残されたものは、中途半端に刻まれたタマネギと、その破片がこびりついた容器、タマネギが刺さったブレード、そして紐をぶら下げて佇む私である。
紐が抜けてもひとり。
誰もこのシチュエーションを分かち合ってくれないので、本来ならば滑稽なはずの事件に笑いが発生しない。
買ったばかりだったので、商品はお店で気持ちよく交換してもらえた。
謝られたけれど、そんな必要はない。
初期不良は何にでも、どこにでも紛れ込むものだ。
私は何故か、その手の「はなからあかんやつ」を引き当てる能力が昔から高いので、慣れている。
ただ、ひとりの食卓で、刻みかけの野菜をまな板に移して調理を続行する気力を錬成するには、ちょっとした時間と体力を要した。
やはり、一緒に笑ってくれる誰かは、いつもでなくていいから、たまにいてくれるほうがいい。
後日でも笑ってもらえてよかった。

夕方、客人は私がこさえたお弁当を持って帰途に就き、私は彼らを駅で見送ってから、帰宅して猫たちの世話をした。
お弁当に詰めたあとの残りもので夕飯を済ませ、講義の予習と執筆の仕事を同時に始める。
家の中がとても静かで、いつもみんなが帰ったあとは少し不思議な感じがする。
長年、実家に住んで、医者の仕事から帰った深夜、家族が寝てから小説家の仕事をしていたせいか、私は他の誰かが立てる物音や気配がある中で作業をするのが嫌いではない。
人がいないときには、猫たちが代わりに、声や音で存在を知らせ、私を仕事に向かわせてくれる。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。