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ちょいちょい書くかもしれない日記(おさげ)

自動で録画されていた番組を、夕食のとき何となく流していたら、阪急北千里駅からマンション群に向かう歩道橋の上で、タレントがインタビューをしていた。
あれっ。
何だか凄く見覚えがある……。
私は、確かにあそこに立ったことがある。しかも、3歳から4歳の頃に。
当時住んでいたマンション(当時はアパートと呼んだ)から、買い物籠を下げて、駅直結のオアシスというショッピングセンターへ行くときに通った歩道橋だ。
ストリートビューで確認してみると、やはりそう。
あれー。でも、やけにささやかだな!
こんなだったかな。私の記憶の中では、もっと幅の広い、ながーい歩道橋だったんだけど。
そうか、私が、うんと大きくなっちゃったんだな。
色んなものが当時のまま残っていることに驚きつつも、一気にスケールダウンした感がある歩道橋の画像を、何だかぼんやり眺めてしまった。
ストリートビューを開いたついでに、当時住んでいたマンションまで行ってみようと思ったけれど、手前までしか行けなかった。
外壁は違う色に塗り直されているし、部屋の中だってリノベされただろうが、外から見えるベランダの手すりは変わっていなかった。
子供時代、引っ越しばかりしていたから、ずっと根無し草のような気持ちでいたのだけれど、最初に住んだ場所は、意外と変わらずにそこにあったのだなと思うと、ホッとした。嬉しくもある。

新型コロナの後遺症あるあるで、しばらく髪があからさまに薄くなっていた。
地肌が見えると本当に凹む。
やむなく髪を伸ばし、薄いところを、他から持ってきた髪でカバーするようにしたけれど、そういう姑息なことをしている自分が嫌で、余計に凹む。
後遺症の中では些細なものなのかもしれないけれど、私のQOLは大いに損なわれた。
もうすぐ感染して1年になろうという今になって、やっと少しずつ復活してきた感じがする。
嗅覚と同じように、もとには戻りきらないかもしれないが、それでも、1本でも多く生えてきてほしい。そんな気持ちだ。
とても久し振りに髪が伸びたので、高校三年生以来のおさげにしてみた。
ビックリするほど編むのが下手になっていた。
そういえば母校の校則では、我々の頃は、「変質者に後から髪を掴まれてはいけないので、髪は後ろひとつではなく、二つに分けて結ぶこと」とされていたが、阪神淡路大震災を機に、後ろひとつ結びも許されるようになったらしい。
まあいいんじゃないかな、とは思う。
私はこのまま長くしておくか、短く切ってしまうか、少し迷っているところだ。

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椹野道流
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