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ちょいちょい書くかもしれない日記(大盛無料)

どうにも体調が思わしくない週末が終わった。
10月からは、延期してもらっていた仕事を再開することになっている。
早く、復調せねば。
とはいえ、ゴミを出しただけで、しばしグッタリせねばならないレベルでまだ疲れやすい。
もろもろ、再開してもスタートダッシュは到底望めそうにない。
何ごとも様子を見ながらだなあ、と思い知らされる。

山を下り、所用を済ませてから、整体へ行った。
疲れが腰と首に来るタイプだとはいつも感じることだが、今回は全身の筋肉に、左右アンバランスな凝りがあるとのこと。
まあ、講義のときの身体の使い方を思えば、そうなるだろうな、という感じ。
姿勢の要であるその腰と首が酷く痛むのは、当然のことなのかもしれない。
「それで、大変な時期はもう終わったんですか?」と問われたので、「いちばんフィジカルに大変な時期は終わったのですが、来週からは中くらいにフィジカルがしんどい時期が始まります」と答えたら、「いっぺん、ガツンと休んだほうがいいと思うんだけどなあ。けっこう、身体がガタガタですよ」とやんわり呆れられた。
「休むっていうのは、完全に動きを止めろというのではなく、休養する時間を十分にとって、ちゃんと食べて、心が安らぐことや自分のプラスになることを適度にする生活を、という意味ですけどね。仕事だって、無理なくやったほうがストレスにならないなら、やればいいですけど……とにかく、もっと休みが必要ですよ」
丁寧に説明された。ぐうの音も出ないやつだ。
わかってはいる。
仕事を1年あまりセーブしているので、「何もしていない」感が凄いのだが、それは自分自身のことを何もしていないというだけのことだ。
父を世話して見送り、母を案じながら父の診療所を閉じ、父の仕事にまつわる膨大な後始末に着手し、ザ・ゴミ屋敷だった実家を人手を借りて片付け、相続に向けて財産を整理し、色々な人や組織に連絡を取り、通販や契約の類を切りまくり、あとからあとから湧いてくる書類の海を泳いでいたら、時間が飛ぶように過ぎていた。
大波をどうにか乗り越え、母もそれなりに回復し、施設で穏やかな生活を送るようになって、あとは残った作業をひとつひとつ、落ち着いて片付けていこう……という段階にようやく入ったところである。
本来ならば、整体の先生が仰るように、自分のための休暇を取るべきなのだろう。
でも、フリーランスはそうも言っていられない……と答えたら、「めちゃめちゃわかりますけどね」と、共感のこもった苦笑いをされた。
もうしばらくは低速走行で、でも自分自身の生活をきちんとリスタートさせようと思う。

お昼を食べに入ったお店で、店員さんがオーダーのときに、「ごはん大盛無料なんですけど、大盛になさいませんか?」と言ってくれた。
なんというか、凄くいい訊き方だなと感銘を受けた。
「お願いします」がとても言いやすいし、「ありがたいけどそんなに食べられないから、今日は普通で」も言いやすい。
いつもとても上品なごはんの量なので、大盛も大したことはないだろうと思って「じゃあお願いします」と言ってみたら、お茶碗は小振りながら、見事な昔話盛りが来た。
凄くいい。好き、そういう店。
隣のテーブルでは、私より少し年上な姉妹とおぼしき二人が、親の相続で静かに、とても静かに揉めており、食べながらドキドキした。
やはり、親の介護における分担の不均衡というのは、根深い不満に繋がることがあるのだなあ……としみじみ。
気持ちはとてもわかる。
しかし、とんかつを食べながら揉めるというのはなかなか力強くていいなと、ちょっと感心した。

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椹野道流
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