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ちょいちょい書くかもしれない日記(痩せ)

昼前に配達に来てくれたおじさんから、「ちょっと見ん間にえらい痩せたけどどしたん、病気やった?」と心配された。
ちょっと見ん間というのは、せいぜい3日ほどなのだが。
「猫が割れた窓から外に出ちゃって、ゆうべ遅くに見つかるまでまる2日、ごはん食べられなかったんです」
正直に答えたら、「たった2日食べんかったくらいでそない痩せる⁉」と今度は驚かれた。
その間、国家試験直前の責任の重い講義もあって、ずっと頭の中がグルグルしていたから、ニューロンがアホみたいに糖を食ったんだと思う。
そんなにかね? と鏡を見たら、本当にビックリするほど痩せていた。参るなあ。どうせなら、下半身から減ってくれ。重力に抗え。

昨夜はぐっすり寝ていた新入り猫、今朝はおずおずと抱っこを要請してきた。
もう大丈夫だな、と胸を撫で下ろした。
猫の日を穏やかで嬉しい気持ちで迎えられること、感謝に堪えない。
やっと食べる余裕ができたところに、毎年恒例の美味しい美味しいベーグルをいただいたので、大同電鍋で蒸した。
もちもちのベーグルは、焼くより蒸すほうが美味しいかもしれない。
小規模に、おそるおそる申し込んだふるさと納税で手に入れたクリームチーズをつけて食べた。しみじみと美味しかった。
ようやく私の気持ちも緩んできた模様。
本当は非常時ほどしっかり食べなくてはならないが、交感神経がバキバキの優位に立っているときにそれができる人は、むしろ生き物として異端なのではないかとさえ思う。
とはいえ、私も不思議と、仕事の上での緊張ならもりもり食べられるのだが。

昨日は「221の日」、つまりシャーロック・ホームズの日だったなとふと思い出し、備蓄部屋へ行った。
壁紙の模様がややイギリス風なので、シックな絵はここに飾ることにしている。
実家から持ち帰った額と共に、シャーロック・ホームズの複製画を額装したものも懸けてある。
先日死んだ伯父が、ロンドン土産にわざわざ抱えて帰ってくれたものだ。重いのに。
「シャーロック・ホームズの胸像がほしい」と言ったのに、何故か絵になった。伯父は画家だったのでしょうがない。
亡くなった宇山さんに「メフィスト賞をあげるつもりだったけど、僕がそれまで待つのが嫌なんだ。今すぐ本にしたい!」と言われて、手に入れ損ねたホームズの胸像(自分で買ってらっしゃいよ。僕たちだって土産屋で買ってくるんだからさ、と言われた)、なんだか一生ご縁がない気がする。
誰かロンドンに行ったら、私に買ってきてください。小さいのでいいんで。
あれに関しては、やっぱり人に貰いたい気持ちがある。
賞に縁の無い人生なので(芦屋市だけは市民文化賞をくれた。唯一の親孝行となったので、とても感謝している)、やっぱりメフィスト賞ほしかったなあ……は、ずっと後悔の種なのだ。
宇山さんの、作品を愛してくれる心の熱さが何より嬉しかったし、それこそ望んで手に入れられるものではない、かけがえのない尊い愛情なので、しょうがないのだが。
宇山さんがくれた、作家と作品への愛は上等な綿布団みたいに重くて暖かくて、私は今もそれに守られている。

伯父のお弔いは家族葬だったし、弔電も供花も一切要らない、もうややこしいから! と高齢の伯母が断言したので、後日お菓子を添えてお見舞いのお手紙でも書くか、と本当に何もしなかった。
だから、伯父がいなくなった感じがあまりしない。
しかし考えてみれば、祖母が死んでからはほぼ会っていない人だ。
会わないのならば、生き死になどどうでもいい。
私の中では、伯父はずっとこの世にいる。それでいいような気がした。
二階には、母方の祖母にもらった海の絵がある。
亡くなった伯父が、祖母に絵を貰うとき、横からシャッと便乗して半ば強奪してきた絵だ。
そのとき伯父が、「この人の絵はね、油彩の、花瓶に生けた花という静物画やないと、価値があれへんよ。それは水彩、しかも風景画。買取額はゴミみたいなもんや」とパイプをくわえてサラリと言ったことを、今も思い出す。
「私はこれが気に入ったんだからいいんです。じゃ、要らないですね。私が貰います」と、何だかとても腹立たしい気持ちで(祖母は私に絵をくれるつもりなど微塵もなかったのに)引ったくってきた。
伯父は、本業は画家、実業家は副業と言って憚らなかった人だが、自分の絵はともかく、他人様の絵は実業家として見ていたんだな……と興味深い。
思えば、資産としての絵画の見極め方を、私に初めて教えてくれた人だった。
とはいえ、その価値観は、私には根付かなかったのだが。
伯父がささっと旅先で描いた風景画は上品でさりげなくてよかったが、あるときから突然、ポップでサイケデリックで意味がわからない平仮名レタリングを駆使したシルクスクリーンに芸風を転向させ、私たちを困惑させた。
そのあと、とんでもない勢いで鬱病になって絵を描かなくなってしまったので、あれは太宰の実朝的な「滅びの前の明るさ」だったのかもしれないと、今になって思う。
伯父の晩年は、穏やかであっただろうか。

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椹野道流
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。