ちょいちょい書くかもしれない日記(秋の気配)
秋の気配といえばオフコース。
長年好きな歌だが、別れ際の、しかも心変わりしたほうの「ぼくのせいいっぱいのやさしさ」とか知らんて。
そういうときの優しさって、たいてい的外れか独りよがりやねんて。
大人になるとそういうトゲッとした気持ちも芽生えたりする。
でも、あのサビは本当にいい。つい口ずさんでしまう。
それはともかく、朝夕の風に、わずかにヒンヤリが紛れ込むようになった。
日中は相変わらず暑くて、墓参のお供や買い物をすると、もれなく頭がガンガンするのだが。
立秋というだけあって、秋が訪れつつあるのかな……と思ったが、待てよ。
もともと山暮らしなんだから、夏だって朝夕は涼しいものだったんだ。
早朝なんか肌寒いのが普通だった。
そう、通常営業に戻っただけである。解散ッ。
とはいっても、少しだけ過ごしやすくなったことは事実で、それはとても嬉しい。
湿度も低くなって、黴だらけ、段ボールは湿気でふにゃふにゃ、土間の床はいつもじっとり濡れている……と、除湿器を入れたところでまったく太刀打ちできなかった実家の半地下も、ようやく乾いてきた。
やはり人が暮らしていないと、家はたちまち荒れていく。
私が毎日、窓を開け閉めする程度ではどうにもならない。
ホラー映画を撮ったりするのに凄くいいと思う、今の実家の半地下。
実家の二階へ上がると、両親の寝室だった部屋の壁には、歴代の猫たちがバリバリした爪痕が無数に残っている。
高さから、どの猫の仕業かがふんわりわかって、いつも懐かしさに胸が締めつけられる。
みんな悪い子で、みんな可愛くて、みんな元気で、でももう誰もいない。
その部屋で、母と私はいつも猫たちの爪を順番に切った。
母のベッドに腰掛け、猫を仰向けに抱きかかえるのは私の仕事で、手際よく爪を切るのが母の仕事だった。
父はそれをニヤニヤ見ているだけで、全然手伝ってくれなかった。
そんなことを覚えていて何になるのだろう。悲しいだけだ。
忘れてしまいたいと思うが、忘れないし、つい書き留めてしまうのが作家の業というやつなのかもしれない。
全部覚えていて、ちょっとだけ書く。