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ちょいちょい書くかもしれない日記(新学期)

また、専門学校の非常勤講師としての新たな一年が始まってしまった。
いちばん古なじみの学校では、もう20年以上働いている。
初めて来たときはまだ木材の香りがするようだったピカピカの学校は、いつしか古び、今年やっと職員室の床が張り替えられたらしい。
それだけで雰囲気がぱあっと明るくなって、やはりリフォームは我が家でなくてもいいものだ、と思う。
私はいつも一年生担当、しかも最初の座学を担当するので、講義室に入ると、学生たちは、みんなまだちょっと互いによそよそしい雰囲気で、でも「何教えてくれはんのやろ~」という、カルチャースクールに通う奥様みたいな無邪気な好奇心を見せつつ座っている。
医療系の専門学校なので、みずからの強い意思で入ってきた立派な子たちもいるけれど、大半は、保護者の「国家資格を持っていれば、食いっぱぐれがないだろう」というでっかい親心によって送り込まれてきた子たちだ。
自分が歳を重ねるにつれて、学生よりも、むしろそういう保護者の気持ちに応えたいなあ、と思うようになった。
実際に応えられるのは、当の学生たちだけなのだけれど。

学生たちはまだ、「勉強してくださいとお願いされ、口をあけて待っていたら必要な知識をぐいぐい突っ込んでもらえる。お口も拭いてもらえる」と思っている。
そうではないのだ。
特にわれら非常勤講師は、依頼に添って、自分の専門分野について、相手のレベルに併せて知識の量と質を選び、極力食べやすく調理して、テーブルに並べるところまでが仕事だ。
それを学生たちが食べるかどうか、消化吸収できるかどうかを逐一見極めるための時間は、残念ながら与えられていない。
講義内容は盛りだくさんなのに、与えられた講義のコマ数はたいへん少ないからだ。
たまに厨房から顔を出して「美味しい?」と声をかけるシェフのように、「質問あったら帰るまでに言うてや」と言うのが精いっぱいである。
進級、卒業、そして国家試験までという、シビアな制限時間のある知識バイキング。
その恐ろしさをまだ知らない彼らの呑気そうな顔を見ながら、今年も「細胞の構造」について喋った。
新型コロナの後遺症で未だに倦怠感が強く、思っていたよりヤバい感じに疲れ果てた。
大丈夫かなあ、とこの先に不安を感じながら帰宅すると、職人さんが実家のガレージで、まだ作業中だった。
「ただいま帰りました。遅くなってすみません」
と声を掛けると、笑顔で「おかえりなさい。お疲れさまでーす」と言ってくれた。
それが酷く懐かしく感じられて、ハッとした。
あ。
そうか。
実家から両親が突然消えたあの夜から、この家には、私に「おかえり」を言ってくれる人がいなくなったんだな。
私も、あの夜から一度も、ここで「ただいま」って言ってなかったな。
親を失ったという事実は(母は生きているけれど)、こんなふうに思わぬ角度から、突然刺してくるものなのか……と驚きながら、少しだけぼんやりした。

マツバギクのこのどぎつい感じ、嫌いじゃない。

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椹野道流
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