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ちょいちょい書くかもしれない日記(デスマーチ前)

週明けからは、学校の講義がなかなかの密度で入り始める。
9月は最高に、そして10月も実はけっこう学校デスマだ。
講義もハードなのだが、学校がけっこう遠くにあるので、行き帰り、特に帰りがややしんどい。
去年は、病み上がりの身体にこの2ヶ月が滅茶苦茶こたえた。
今年もまあ、病後という意味では似たようなものだと思うが、親関係の用事がずいぶん落ち着いた分、マシなはず。
強制リハビリだと思って頑張るしかない。
去年、この2ヶ月を切り抜けたとき、少し体力が戻ったことを実感できて、大丈夫、私は前へ進んでいけるという気持ちになれた。
今年はさらに前へ行かねば。
ありがたいことに、そして申し訳ないことに、執筆のお仕事を昨夏からかなり手加減していただき、そのおかげでどうにかこうにか生き延びている感じだ。
とはいえ収入の面ではその分厳しさしかないので、1日も早く、元の……とまではいかないまでも、少しずつペースを上げていきたい。
立ち止まることがあまりに下手、つまり働いていない自分に価値を見いだせないタイプの人類なので、死に物狂いで休んでいるという謎の日々だが、これも人生には必要な時間なのかもしれない。
少なくとも、家の中はだいぶ整ってきた。
気づいたのだが、仕事に忙殺されているときは、余計なことを見たり考えたりする余裕がない。
でも、休んでいるときは色々見聞きして経験し、考える余裕、思い立つ余力が出てくるので、家のリフォームなんかに代表される大きなことに着手できたりする。
知識を広げたいと思えるし、実行する時間もできる。
つまり、働いていないときほど、お金を使ってしまう。ヤバい。
とはいえこれは、再び忙しくなり、生活環境の改善や自身の向上に手が回らなくなるときに向けての準備。そう考えている。

我が家の猫たちの2冊目のフォトエッセイ本が出て(「ちびすけlovesおおきい猫さんたち」という本です。三笠書房から)、ちらほらと感想などもいただき、幸せな気持ちでいる。
毎日アホみたいな枚数の写真を撮り続けたのは私だが、その莫大な写真から、「これを見せたい!」というものを選びに選んでくれたのは、担当編集氏だ。
そのえげつないまでのガッツには、頭が深く下がる。
彼女が選んでくれた写真は、どれも本当に愛らしいものばかりだ。
自費制作のカレンダーや写真集を編集してくれる友人もそうなのだが、少し距離をおいて客観的に猫たちと写真を見てくれるからこそ、気づけるよさがある気がしている。
我が家の5匹の猫は、みな、外の世界から来た子たちである。
本来ならば、私と私の周りの人たちしか知らないはずのその猫たちの毎日を、SNSや本でたくさんの人たちが見守り、愛してくださることが、今でも不思議で、そしてありがたくて仕方がない。
猫の保護活動に本格的に身を投じる余裕はまったくないのだが、そのときどきの身の丈でできることは、これからも続けていきたいと思っている。
でも、まずはなにより、うちの子たちを幸せに。それがいちばん大切なこと。

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椹野道流
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。