ちょいちょい書くかもしれない日記(色々起こる)
いつも、読んでくださってありがとうございます!
読んだよって、足あとみたいにスキを残していただくことで、読み手の方の気配を感じることができるんだなーと実感しています。
サポートやメッセージも、本当にありがとうございます。美味しいおやつを人と猫が頂戴致します。前文終わり!
今朝も、病院からの電話で始まった。
父のときと違って、容態の話ではなかろう、また大騒ぎしてご迷惑をおかけしているのだろうか……と思って通話を始めたら、頭のほう、経過観察で念のためCTをしたら血腫ができていて、まだかなり小さいけれど、経過によってはそちらの手術も必要になる可能性があります、入院以来の不穏状態と関係があるかどうかはちょっとまだわかりません、とのこと。
リハビリはそちらも考慮して無理なく行うようにします、とも。
おうおう。ご配慮ありがたい。
歳も歳だし、そのあたりはもう、なるようにしかならないだろう。
了解の旨とフォローアップのお礼を伝えて電話を切った。
父が、入院したときはあっという間に出てくるんじゃないかと思うくらい元気に暴れていたのに、あれよあれよという間に……という経過だったので、冷静ではあるけれど、胸の中にもやもやと澱む不安がある。
色々な事情を抱えながら耐えて仕事をする人たちは偉いな。
教師業は何とかなるけれど、執筆のほうは、心身の不調や揺らぎが文体を嫌な感じに歪ませるので、どうにもならない。
必死で書いて、あとで読み返して死にそうになって消す、を毎度繰り返すので、諦めて休んだほうがいいなと昨年から思い始めた。
あと、猫が頑強に「寝なさい」と言い張るときは、素直に従ったほうがいい。
これも、昨年の夏に学んだことのひとつだ。
疲労とストレスが原因ならば、特に食事制限は考えなくていいから、身体に優しい、でも栄養価の高いものを食べて。そして薬で痒みが和らいだら、その隙に存分に寝てちょうだいね、と皮膚科で言われた。
結局は、心身にゆとりができないと蕁麻疹のたぐいは治りにくいから、とのこと。そうだろうなあ。
ひとり飯なので、回数にはこだわらず、食べたいなと思ったときに食べている。今日は、それが昼に来た。
こういうときは、湯豆腐がはかどる。
小鍋に昆布と豆腐を入れてぐらぐらとやっていると、なんかちょっと具を足そうかな、という気持ちになれるのでよい。
未だに残っていた切り餅を焼いて、葱と共に投入した。大正解の大勝利であった。
午後、雨なので駐車場が空いているかも……と、母のお見舞いに。
案の定、楽に停められるスペースが空いていた。
母は、やっぱり眠そうにしていた。
15分しかいられないけれど、色々と話しかけた。
会話のキャッチボールはほぼ不可能だったが、今日は気分がいいのか、「また来てね」と笑顔を見せてくれたのはホッとすることだった。
だんだん、母がしぼんで枯れていくような感じがして、背中がヒュッとなる。
昨夏の父ほど急速ではないけれど。
夕方、名古屋の叔父叔母に電話した。
ご機嫌がよかったので、いけるかな……と、デイケアの話を切り出してみたけれど、にべもなく突っぱねられた。
「そんな必要、今はまだないから」
そう、みんなそう言うの~!
でも本当は必要なこともあるでしょ知ってる~!
とはいえ、実の親子でも立ち入れないエリアがある。叔父叔母ならなおさらだ。
今は叔父が奮闘して家事や叔母の世話を切り回しているようだが、彼とてまた認知症である。
わりと投薬治療が上手くいっているとはいえ、父が死んだ連絡をしたとき、「そらしゃーないな、不摂生しとったから!」と、お悔やみも何もなく突然朗らかに言い放ったあれを思い出すと、元の、気遣いバリバリの営業職であった叔父ではもはやない。
たぶん、包めなくなった本音が巻き起こすトラブルもあるだろう。
そっちも心配だ。
老老介護に、双方認知症というファクターが乗っかっているわけなので、いいつバランスが崩れても不思議ではない。
なんか困ったことが起きたら必ず相談してね、と伝えた。
今の私には、それが精いっぱいだ。
本当はこのへん、精神医学のプロである弟のほうが上手に対応や説得ができるだろうと思うが、プロだからこそ身内のことには立ち入りたくないのだろう。
その気持ちはハチャメチャにわかる。
なるようにしかならないよ、と自分に言い聞かせる間にも、蕁麻疹が増えていく。