ピンクの髪が私にくれたもの
私の髪はピンクのボブだ。
ピンク系アッシュとか、ピンク系ブラウンなんて可愛いもんじゃなく、白い画用紙を出してきてピンクのクレヨンで塗りつぶした色。
そう、その色が私の髪の色。
なんでピンクなの?
出会った人たちは口々にそう尋ねる。
そのたびに私は適当な理由を見繕う。
「ピンクが好きだから」
「ピンクが似合うと思ったから」
「シャンシャンが好きだから」
(上野動物園の子パンダ シャンシャンは赤ちゃん時代にピンク色をしていた)
でもどれも嘘だという気がする。
これだけ自己主張の強い髪色をしておきながら、私はなんでピンク髪なのか、自分が一番わかっていないのだ。
そもそも日本人の黒い頭髪をピンクに染めるには並々ならぬ苦労がある。
まず最初に脱色。
当然ながら真っ黒い髪の上にピンク色の染料をのせても全く発色しない。
日本人の髪の色は脱色すると黄色みが残る。
よく老婦人が白髪を紫に染めているのも、元々は黄みがかった白髪を綺麗に見せるためのテクニックだ。
黄みがかった色に淡いピンクを載せると、足し算の原理で髪色はオレンジ色寄りになる。
つまり地毛を限りなく白に近い色までハイブリーチすることが綺麗なピンクを表現するポイントとなる。
一度の脱色でそこまで色を抜こうとすると、当然ブリーチ剤の濃度は上がる。
これがめちゃくちゃ頭皮に滲みるので、根元にブリーチ剤を塗ってからは燃えるような痛みとの戦いだ。
更に言うと私は肌が強くない。
皮膚の赤みから判断して「もう流しましょう」と担当美容師さんに説得されるまで、険しい顔で必死に耐える。
ブリーチ後は頭皮が熱を帯びているので限りなく水に近い温度でそっと洗い流してもらう。
お湯で流すと高濃度のブリーチ剤が気化するため分厚いタオルで目鼻口を覆うのが私と担当さんとの暗黙の了解だ。
そんな努力で出来上がった金髪の私は、残念ながら女子プロレスラーそのもの。
洗い立ての髪をオールバックにされたまま鏡の前に移動すると、いかにも腕っぷしが強そうで心底悲しくなる。
お気に入りのピンク髪まであと少し、がんばれ、私…!と鏡から目をそらしながら自分を奮い立たせる。
そこからは色味の違う2色のカラー剤を混ぜ合わせ、お好みのピンクを表現していく。
カラー剤を丁寧に塗布し、揉み込み、数十分置いて洗い流し、完成。
私のサロンではここまで〈カット・ブリーチ・カラー・トリートメント〉で19,000円だ。
所要時間は約4時間。
これだけ努力してやっと手に入れたピンク髪。
普通に毎晩洗ってみる。
するとどうだろう、約1.5週間くらいで金髪に戻ってしまう。
ピンク色の髪はシャンプーするごとに、しば漬けの汁のような色水が出る。
そう、あんなに頑張ったのに、カラー剤はほとんど定着せず排水口に日々流されていくのだ…!
(わ、わたしのいちまんきゅうせんえんよ…!)
あまりに短命すぎるので試行錯誤した結果、自宅でトリートメントにごく少量のカラー剤を混ぜ合わせ、毎日流れた分だけの補充をするようにしたらだいぶ色持ちが良くなった。
初めてピンク髪にしたのは1年前のことだ。
大胆なイメージチェンジのはずなのに、きっかけの部分になんとなくモヤがかかり、何も覚えていない。
どうせ私のことだからつまらない男につまらない思いをさせられ、ムシャクシャした勢いで突っ走ったのだろう。
それらしき証拠が担当さんからの1年前のメッセージに残っていた。
「下瀬さーん
そろそろケアしに来ませんかー?」
に対して
「ピンク!ピンク!超ピンク!!
バッサリ切って
全部ピンクにしてください!!!」
…絶対に何かあったとしか思えない。
ピンク髪になって初めて歩く地元は酷くよそよそしかった。
初回、激しく色落ちすることを見越した担当さんが入れたのはほぼショッキングピンクという過激な色だった。
サロンからの帰り道、視界に入るすべての人が私をじっと見ていたし、逆にすれ違う段になるとすべての人が私から目をそらした。
家の近所に差し掛かると、いつもミニチュアダックスの散歩をしている斜向かいのおばさんが正面から歩いてきた。
パッとピンクの人物を視認すると、それがまさか知人だとは気付かずに目を伏せて私の脇を抜けて行った。
意気地がなく年中無駄吠えするおばさんのダックスもこの日はワンともすんとも言わない。
『すごい、
人って派手すぎると透明になるんだ』
こうして私はピンク色の魔法を手に入れたのだ。
特筆すべき理由もなく手に入れたにしては、ピンクの魔法の力は強大だった。
ご近所さんとの交流を失った代わりに、夜の街で声をかけられることが急激に増えた。
ナンパ、キャッチ、スカウトと、事情は様々であったが、夜の街に生きる人たちの逞しさと悲哀を追っている私には渡りに舟だった。
その一方で今まで着ていた服の大半が出番を失った。
これまではレースやリボンが控えめについた大人しいワンピースを好んで着ていたが、それら一切が派手髪とちぐはぐになり、似合わなくなった。
その代わりにボーイッシュでラフな服装はめいっぱい私を活かしてくれた。
なによりピンクの髪に最も似合わないのは景気の悪い、暗い顔だった。
いつの間にか私は大きな口でよく笑うようになった。
そんな自信満々のピンク髪の私にも1つだけ怖いことがある。
度重なるハイブリーチにより、将来ハゲるかもしれない…
と、いうことではない。
『私がピンク髪でなくなったら、
世界中の誰も、
私に気付かないかもしれない』
ここ1年で私のLINE友達は100人以上増えた。
皆一同に、私=ピンク髪だと思っている人たちだ。
髪色に合わせて個性的なメイクをしているけれど、もともと私は「知り合いの誰々さんに似てる」と言われがちな無個性な顔立ちだ。
本当はわかっている。
本質は何も変わってなんかいない。
店員さんに話しかけられないという理由でコンビニで肉まん1つ買えない私のままだ。
ピンクでなくなるのは、こわい。
魔法を使っているつもりが、気付けば私は魔法に振り回されていた。
すっかり意気消沈して駅まで歩く気力も起きず、バス停に立つ午後の日。
無邪気な声が私の背中を刺す。
「ねえねえ なんで髪の毛ピンクなの?」
振り返ると声の主は幼稚園くらいの女の子で、小柄なおばあちゃんに連れられていた。
いつもなら シッ 見ちゃいけません とばかりに引き剥がされるところなのに、女の子と緩く手を繋いだおばあちゃんは微笑んでいるだけだ。
「イチゴをたくさん食べたからだよ〜!」
しまった、滑った。
だだ滑りである。
真顔の女児の関心は既に家から持ってきたであろうラムネ菓子に移っていた。
気まずそうに薄笑いを浮かべる私。
重苦しい沈黙を破ったのは意外にもおばあちゃんの方だった。
「ちょっと触ってもいいかしら…?」
私の返事も待たずに節くれだった指で毛先を何往復か撫でるとおばあちゃんは
「わあ 柔らかいのねえ」
と、まるで少女のように笑った。
つられて私も笑う。
酷く傷んでるの、傷んでて毛がスカスカだからふわふわで柔らかいの。
すぐ切れちゃうし、毎朝毎晩、必死にケアしなきゃパサパサになるの。
だけど私の好きな髪。
私のお気に入りのピンク髪。
2分遅れでやってきたバスに乗る。
二人掛けの椅子に座っても、今日もまた終点まで隣に誰も来ないだろう。
私は外気との温度差にちょっぴり鼻をすすりながら、放置したままの担当さんに返信を打った。
「予約お願いします!!!
ピンク!ピンク!超ピンク!!」
肉まんもおでんも一生買えなくたっていいんだった、それが私なんだから。
いつか私がピンクじゃなくなって、世界中が私を忘れたとしても、私は私の好きな髪で生きてる今を一生忘れないわ。
その日が来るまでもう少し、魔法使いをするのも悪くないでしょう?