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【イベントレポート】親であること、毒になること(週報_2019_02_23)

木曜日に高円寺パンディットで行われたトークイベント、『親であること、毒になること』を拝聴した。
主催はゲスママ著者でnoteクリエイターでもある神田つばきさん、官能小説家でコラムニストの大泉りかさん。ゲストに漫画家で小説家の内田春菊さん、司会に俳優のリカヤスプナーさん。

昨年noteに登録した頃から神田つばきさんの記事を全て読んでいて実際にお会いしてみたいという密かな願望はあったものの、テーマを見て今回は見送りかな、と思っていた矢先だった。

飲み屋でたまたま数日に渡って同席した二村ヒトシさんが「面白いと思うよ、今ここでチケット買えばいいじゃない」なんて言うものだから、その場のノリでチケットを購入してしまった。
こういう巡り合わせがあるときはのってみる、野生の勘を割と信じている。

ついでに言うと実は私は十数年くらい前までは結構な内田春菊フリークだった。
実家が古本屋という利点を最大限利用し、著作のほとんどを持っていたと思う。
ただ、ファザーファッカーだけは、あらすじを見ただけで読むのが怖く、何年も買ったまま本棚の奥に押し込まれていて改めて読めたのはここ数年のことだ。

内田春菊を知るきっかけになったのは、皮肉にも本好きの母の影響だった(これは大泉りかさんも似たようなことを言ってらした)
「ファザーファッカーっていう本が凄かったのよ、あんな酷いこと、現実にあるのかしら」と、母は言った。

ファザーファッカー。
本当に本当に掻い摘んで言うとしたら、中学3年生の静子が養父に犯され、それを母も見てみぬふりをするという毒にまみれた家庭に育ち、そこから抜け出す内田春菊の自叙伝的小説だ。

……?
母よ、今なんて。
あんな酷いこと 
我 が 家 に も あ る が ?

母の発言にあまりに驚いた私は、何も気付かなかったかのように振舞ってしまった。
一度なかったことにして埋めてしまった虫歯はよほど痛まない限り再度掘り返すことはない。
疼痛を抱えながら、一体何年経ったのだろう。
そんな事情もあって当初このテーマのイベントに行くことに抵抗があったのだ。

イベントの内容はこちらのnoteが非常にわかりやすく書かれていたので貼らせていただくことにして(後日また詳細のレポートがあるようなので楽しみ)(相変わらずの他力本願!) 私は私なりの偏った雑感を。


すべての登壇者が自身も母であり、かつては娘であった。
親に潜む毒と、その毒を受けて育った自身。
時が経ち、親となった自らが毒を撒き散らすことなく生きるための気付きについて語らう穏やかな会だったように思う。

神田つばきさん。
ご自身はあやつり型の母、姑を持っていた。

「世の職業には向き不向きがあるのに、親というものに関してだけ向き不向きの概念がないことになっている。
 親に向いてない人間がどうやって親をやっていったらいいかの答えがないことが問題」

「親を許せるチャンスは三度ある。
 反抗期が終わって親がもう弱いと知ったとき、1人で暮らして親のありがたみを知ったとき、そして親が亡くなったとき」

「反抗期を通れなかった。
 反抗期に親をやっつけて、フンとやっている自分の愚かさに気付けば良かった」

「外野からは冷たく見えることもあるかもしれないが、子供の側から親の毒を回避してあげることで親も救われることがある」

柔和な口調ながらも鋭い指摘が多く、今回のイベントにかなりの前準備をされてきたのだろうと思う。
イベント後も話しきれなかった内容がこんなに、とたくさんの資料を見せてくださった。
つばきさんの言葉はこれから親として生きていこうとする世代を決して責めることがない。
他人を戒めようとしない言葉の数々は自然と心の中に染み込んでくるものなのだな、と知った。

大泉りかさん。
2歳の男児を子育て中のりかさんは束縛系の母を持つ。

「自分はコギャル世代で援助交際をしている女子グループ、
 お母さんはマンガとか描いているグループの女子。
 その人に服装が派手だと言われても価値観が違うからどうしようもない。
 親が自分と違う人間だってわかった瞬間に、しょうがないなって思えた。」

「母親に夢があったということを忘れていた。人間として見ていなかった。」

実は私も中学2年のときに突如として『母親も人間なんだ』と気付いたことがあった。
誰に教わったわけでもないのに親というものは正しいもの、正しくなくてはいけないものだと思い込んで生きていたので、母が人間で、時に間違え、時にずるいこともすると悟った瞬間から母子関係がとても楽になったのを今でも覚えている。

りかさんも感覚的には『親と自分は別の人間』という切り分けができていたようだったが、イベント中にも現在進行形で気付きを得て、りかさんらしい歯切れの良さで次々と言語化していく姿が非常に頼もしかった。

あと個人的にりかさんの弟さんの刺青がお母さんにバレて泣かれたときに「悪かったよ」と言いながら差し出した腕に『I'msorry papa&mama』って刺青が入ってたっていう話がツボすぎてあと100回聞きたいし100回全力で笑うと思う(笑)

内田春菊さん。
男女4人の子を持ち、前述の通り見殺し系の母を持つ。

「(子供を4人持った理由のひとつに)自分の毒をなるべく分散したかった。
 自分がもし毒親になってしまっても、子供が3人、4人で協力してくれればと思った」

「子供に謝れるようにしている。
 ハラスメントをする人は相手に謝れないという風潮がある」

3年前に大病をされたこともあって、初めて生で見る春菊さんは思っていたよりもずっと小さな人だった。
その身体の小ささが、同じく数年前から体調を崩している私の母に似ていた。
もじもじと迷っているうちに物販は完売してしまった。
今の私なら躊躇せずにダンシング・マザーを読むことができるだろうか。

最後に司会のリカヤスプナーさん(イケオジ!)が語られたご自身のお母さんの話(内容は毒親と少し離れる上にセンシティブな問題を含むのでここでは割愛)に涙がこぼれそうになった。
正確に言うと、その話をしている間のリカヤさんの眼差しが優しくて心を揺さぶられた。
6月には親になるというリカヤさん、末永く幸せでいてくださるといいな、と他人ながらも祈らずにはいられなかった。


私は、母の毒を皿まで平らげて、母を見送ろうと覚悟している。
近い将来死んでいく人間に、もう過去に服毒させられたことの贖罪を求めたりはしない。
私はあなたの注いでくれた幾分かの愛情の見返りに、あなたのすべてを赦したい。
たとえあなたが死んだあと、世界に1人遺された私がこの毒に蝕まれもがき苦しんだとしても。

つばきさんの台詞が何度も脳内でリフレインする。
「もう一度子供のときの”お母さん大好き”って気持ちに浸りたいな…」

人は毒とともに生きている。
自らの毒に侵される人もいれば、毒で毒を制す人もいる。
家族というものはそれぞれが閉鎖的で、それぞれが特殊だと常々思う。
普通の家庭、などというものは存在しない。
大なり小なり、特殊な家庭なのだ。
イベントが終わると、皆口々に我が親の毒について語らずにはいられないとばかりに、各出演者のまわりには人だかりができていた。
それだけでこのイベントがとても意義のあるものだったのだな、としみじみ思う。
Twitterの参加表明にリプライをいただいていたつばきさんにご挨拶することができた。
つばきさんは物腰が柔らかく非常にチャーミングな女性だった。
今はお休みされているnoteの投稿を、いつまでものんびり待っていますから、と直接言えたのでコミュ障の私としては100点満点の出来だ、頑張った!

帰りしな、二村さんに「今日来てよかったです」とお礼を言った。
「私は内田春菊さんのお母さんタイプの毒親持ちなんですよね。環境が似てて」と言ったら「じゃああなた作家向きですよ、人間関係は壊すかもしれないけど、作家向きだ」と二村さんが意地悪くニヤリと笑ったので、またまたご冗談を、と思いつつ「それは嬉しいなぁ」と私も下がり眉でニヤニヤと笑い返したのだった。

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