web3 とスクラップ業界の行く末
ここのところ、自分の身の回りのことで、山ほど考えることがあった。例の流行り病も、未だに元気だ。そんな、己に降りかかる災難や障壁を、どうにかこうにか解決できるよう。毎日、ギリギリの生活を、相も変わらず送っている。
web3 って、そもそもなんだろ
今まで、奥歯の奥の奥に詰まっていた関心ごとの一端が、なんとなく朧気に見えてきたような気がしたので、アウトプットしてみようと思います。
その関心ごととは、まさに世間を席捲している、あれ。「ウェブスリー ( #web3 ) 」であります。
#ブロックチェーン だとか、“なんとかコイン”の文脈の中で、あっという間に、昨今の“バズワード”としての確固たる地位を築いた、あれです。
しかしながら、誰も“それ”が、我々の未来にどのような貢献をしてくれるのか、どのように我々自身が活用してゆくべきなのか、そういったところを理解していないわけでして。(煽っている筆者自身も、さっぱりです。)
web3 は哲学であるらしい
哲学だから、わかりにくいのである。フツーの人間にわかるわけがない。
これは、「Web 3.0」といった類のバージョンアップ記号でもないし、「web 3」といった個数を示す番号でもないということ。
もう一度言いますが、“哲学”なのであります。
web3 とスクラップ業界の相関関係
金属のスクラップは、コモディティである。そういった蘊蓄は、過去にも幾度となく言及してきました。結論から申し上げると、金属スクラップの取引と、web3界隈の新しいテクノロジーって、すごい親和性が高いんじゃないかと思うんです。
「コモディティである」ということは、特定の市場の中で、「品質が“ある程度”担保され、投資の対象として流通できる」ということです。商品性があり、投資の対象たり得るのであれば、新たな決済方式としてのブロックチェーンとの相性も良いはずです。(現金取引にこだわる理由さえなければ。)
契約にしても、往々にして問題視されるのは、重量の齟齬であって、他の問題(品質やら成分)なんていうのは、よほどのことがない限り、追及できない(ぱっと見ただけでわからない)わけです。お互いの信用のもとで取引をしており、物理的な制約がない限り、現場・現物の確認なしに取引が完了することも、普通に考えればあり得ないのですから。
そういった現状と照らし合わせると、「スマート・コントラクトを、ブロックチェーンに織り込んで、自動で取引を終えてしまえ」と考えることが、とても理にかなっています。(自分の台貫(計量器)を使うことにこだわりがなければ。)
品質に関しても、AIによる画像センシングの技術を使いこなせれば、ひとつの電線の山の中に、どれだけの銅が眠っているのか推し量ることは、不可能ではありません。アルミ缶の山の中から、スチール缶ひとつだけを抽出することは、とても難しいけれど、「どのあたりに、どれぐらい含まれているかどうかを推測すること」は、AIの得意分野だと思います。
売主・買主間の小競り合いを避けるためにも、リアルタイムで金属の歩留率を判別するシステム開発に投資することは、とても理にかなっていると思うのです。(感性を疑われることに抵抗がなければ。)
ブロックチェーンとスクラップ業界
金属スクラップ業界における、流動性を妨げる大きな要因は、絶対的に「得体の知れないモノを買ってしまうリスクに対する恐怖心」であります。
どこから仕入れたモノなのか、なにが入っているのか、余計なモノが入っていないか。つまり、「約束通りのモノを受け取れるか」がわからないのです。だから、横の信頼関係、上下の主従関係が重宝されるわけです。その“関係性”が大事であるがゆえに、問屋制度が未だに必要とされています。
言い換えると、金属スクラップが、どこでどれだけ発生し、どの業者を通して流通したのか、内容物が何であるかといった情報が明確であればあるほど、流動性は高まる。もっと言ってしまえば、「商品の情報(=品質)が確かである」ことが担保できれば、市場の参加者、誰もが欲しがるんです。つまり、順当に考えれば、競争が激しくなり、需要と比例するように価格も上がる。そうすると、中間業者は、自然と淘汰されることとなります。
もっともっと言ってしまえば、排出業者が #LCA (ライフサイクルアセスメント)の観点から、将来的には、中間業者を排除する流れも不可避であると考えています。なぜならば、生産の途上で発生した不良品やら、スクラップを最短経路で、効率的に再生させることができれば、排出業者自身の“ポイント”になるからです。
年間を通して稼いだそのポイントは、法定通貨に転換せずに、 #ETH として保管すればいいし。その相場が上がったら、別の通貨に置き換えればいい。原料やら事務用品の支払いに充当したっていい。金融機関への手数料の支払いから解放されるだけでなく、介在者を減らすことで、商流をシンプルにすることができるわけです。
「適正なルートで、効率的な再生が行えるか否か(=サーキュラーな経済活動に結び付いているか、いないか)」といった評価軸が一般化した際に、排出業者にとっては、「金銭的な価値の多寡」よりも、「温暖化ガスの排出量を相殺できるインパクト」に必要性を感じるはずです。
メタバースとスクラップ業界
また、ここからは、個人的な妄想の域を超えませんが、メタバースは、「廃棄物の選別工程(有価物の抽出工程)」なんかにも、十二分に活用できるような気がしてなりません。
前提として、「ゴミの中に手を突っ込むことは、誰だって嫌」です。その事実は、未来永劫変わらないと思います。仮に、衛生上の問題や危険性を完全に排除することができたとしても、社会的な意義を高らかに宣言してもです。
結局のところ、“ゴミの塊”は、現実世界では、「ゴミにしかみえない」です。しかしながら、仮想空間に投影されたとき、それは、青い芝生になり得ます。つまり、「ゴミがゴミにみえない」のです。
少しややこしい表現になりますが、もし、「現実空間の仕事を、仮想空間で対処できたら」、「ゴミの選別作業」と銘を打って求人する必要もないわけです。むしろ、“仕事”である必要すらないかもしれません。極論、ゲームにしてしまえばいいのです。(いわゆる、 “Play to earn” 的な発想です。)
例えば、現実世界のゴミがコンベアの上を流れる映像を、仮想空間の中で、左記のような芝生であったり、野菜、身近なモノに置き換えてしまうのです。そして、指定されたモノをうまく抽出できると、労働者(プレイヤー)のポイントとなり、報酬となるのです。
「ゴミの選別」を「オンライン上のゲーム」に置き換えることができれば、“選別作業員(プレイヤー)”は、オンサイトで雇用する必要はありません。要求した作業さえこなせれば、日本にいようが、北極にいようが、宇宙にいようが関係ないからです。もちろん、人種も関係ないわけです。
最終的に、人間の目でみた情報(インプット)の中から、「これは、OK!これは、NG!」という判断ができればいいのであって、その行為から得られる成果物(アウトプット)が、現実世界で言うところの電線であろうが、仮想空間のニンジンであろうが、一切関係はないわけです。最終的なアウトカムとして、狙ったものが選別(獲得)できているということであれば。
結局のところ、人間は、ヒトの手がかかった商品に価値を見出す
おそらく、「なにも、わざわざ人の手を使ってまでして、そこまでやらなくても。面倒なことは、全部マシンで自動化すればいいんだよ!」といった批判を受けることもあるでしょう。
ただ、そういった批判に対して言えることは、ひとつ。「機械は万能じゃない」ということです。選別・判断技術において、AIのディープラーニング等も活用できるかと思いますが、結局のところ、「何をどのように学習させるか」という“教育者”のセンス・スキル如何によって、得られる精度・確度が大幅に変わってしまうのです。
そして、何よりも、現代のテクノロジー水準では、「機械がすべてをこなす」ことよりも、「人間と機械、それぞれが苦手な分野を補完するような関係」の方が、ずっと再現性も高いし、資本効率が良いとされています。
かつての中国が、何もかも「“手”でやる」ことに拘っていたのも、単に「人件費が安い」からではなく、「熟練工に任せると、有価物の回収率が格段に向上する(=付加価値率の向上)」からであると思います。
言い換えると、「熟練工に頼らないと、効率的に回収することができない」ということです。だから、日本から中国への雑品輸出が止まったときに、中華系のスクラップ業者は、こぞって「○○省出身の解体職人」を日本に招聘したわけです。
それと時を同じくして、大陸に残った大手や中堅どころの企業が、「非属人的な効率経営」を標榜する途上で、「これまでの金属回収技術を用いたオートメーション化」に力を入れ始めるんですね。こういった動きの中から、出来高の予実管理が可能となり、機械化の損益分岐点が明確になり、ファイナンスが容易になった。
最終的に、非属人化を推進できなかった企業は、大手に吸収されるなり、第三国への進出を迫られるような、危うい状況へ歩みを進めてゆくのです。一方で、非属人化と技術革新を達成できた企業は、欧州のリサイクラーを買収したり、大陸の中で新たなリサイクリング・プラントを建造するなどして、成長に向けて一歩ずつ、確実な歩みを進めてゆくのです。
そして、恐らく、成功した側の成功要因は、「機械化する部分と、あえてしない部分の見極め」にあるのではないか、そのように考えています。ヒトの手で「ちまちま回収した方が付加価値のつく商材」を開発したり、破壊することを前提としない“原料の再生システム”を構築したり…。
例のごとく話が脱線しましたが、筆者は、資源再生の分野において、「機械に完全に依存すること」よりも、皮肉なハナシではあるけれども、「機械と人間が共存できること」の方が、実際に“効率的”であるだろうと考えています。
また、将来的にも、「機械と人間が共存できること」の方が、「価値を生む」と思います。上記、堀江さんと佐藤さんの対談動画でもお話しされていますが、「金銭的に儲かるからやる時代(商業主義)」は、終わりを迎えます。作業時間がどれだけ短縮できて、コストがいくら削減できるとか、そういった話だけでは、もはや「やっていけない(=持続可能性がない)」のです。
動画より、佐藤さんの「価値主義」に関する考察を抜粋。
ここで、「ゴミの選別をゲームに落とし込む」という話に戻っちゃうんですが、「ゴミがゴミにみえない」ことで、誰もが心理的な抵抗感なしに、参加できることの価値って、意外と大きいと思います。
“選別作業員(プレイヤー)”にとっては、エンターテイメント感覚で仕事ができて、なおかつ報酬がもらえ、社会の役にも立てるわけです。仕事を依頼する側にとっても、仕事の精度の良し悪しで、報酬を定量的に判断することも可能だろうし、労働力を安定的かつリモートで確保することができるわけです。
未来のファイナンス手法
また、当然のことながら、初期投資に莫大な資金が必要となるわけですが、「実用的、感情的、社会的な価値を重んじる社会」にとって、商業的な要素は、後回しにできます。なぜなら、あったら便利だし、楽しいし、社会の役に立つからです。非常に楽観的な視座ですが、未来の政府の役割として、「新たな価値を創造できる事業体へファイナンスする」ことが強く希求されてゆくものと考えています。
実際に、宇宙開発系ベンチャーに対して、「 #アンカー・テナンシー 」という契約形態で、政府による成果物の買い上げや、製品の定期購買が行われているようです。安易な言い方をしてしまえば、“売上保証”とでも言いますか。補助金や助成金の類とは、まったく性質は違うようです。
こういった思想、事例を目の当たりにすると、ゴミ処理にせよ、スクラップ原料の再生にせよ、「十二分に新たな価値を創出する余地がある」と思ってしまうのは、筆者だけでしょうか。
まだまだ、ニッチ産業の中に、さらなるニッチがあるような気がしてなりません。また、気が向いたときにでも、スクラップ業界とテック系のネタをマッシュアップしてみたいと思います。