銅がアルミに置き換わると、消費者はどんなメリットを得られるのでしょうか
先日、日経にこんな記事が載っていました。
この記事の言わんとすることは、「銅相場が高止まりしている→製品サイドとしては、材料費が高止まりすることを意味するので、収益を逼迫させる要因になりかねない→他に安価な材料はないか?→“いつもの”アルミで代替すればいいじゃないか→そりゃあ、いい考えだ!」的な内容です。
足元では、銅相場は10%程度、最高値より“サゲ”ていますが、依然として、高い水準にあることに変わりはありません。2020年3月は、現在の水準の半分でした。
もちろん、こういった提言がなされ、新たな金属が新たな用途で使用されることになれば、もしかしたら、科学技術の進歩を促し、“豊かな社会”が構築できるようになるのかもしれません。
ただ、一般的には、いち消費者として、「銅がアルミに置き換わったら、どれだけの人が幸せになるんだろうか」といった青写真を映し出すことは不可能なことですし、考えるべきことでもありません。
「(銅からアルミに)変わったところで、わたし(ぼく)の生活にどれだけの“メリット”があるのか」といった次元のハナシについても、正直なところ、縁の遠いハナシであり、身近な話題として成立はしないわけです。
今、いわゆる“巣ごもり”需要のもと、エアコン等の白物家電の販売は、絶好調だと聞きます。各社の謳い文句として、「省電力でエコ」だとか、「AIセンサーで効率よく温度管理をします」といった美辞麗句が並びます。結局のところ、消費者に訴求できるポイントとしては、“そこ”でしかないんですよね。
消費者にとって、なにがメリットなのか
“メリット”に関して、もっと突っ込んだハナシをしましょう。必然の流れとして、「材料費が安く抑えられるのであれば、販売価格も、安くなるよね?」という疑問が湧いてきます。
ただ、実際には、おそらく、消費者が享受できるメリットは少ないと思います。製造側としては、「銅を使った方がいい(メリットが大きい)」と信じているからこそ、銅を使用する前提で最適化されたモノづくりに磨きをかけてきたわけです。
新商品開発の面でも、「色んな金属を使用検討したけど、やっぱり銅の方がいいよね」という判断があったのでしょう。営業の面でも、「安全性や性能を担保するためには、銅が最善の選択であるし、今ある技術を高めることで、より良いスペックが得られるのであれば、それに越したことはない」といった考えのもと、販売戦略を打っているのでしょう。だから、今までも、今も、これからも、銅は使われている。そして、その時々の“時流”に沿って、“申し訳”程度に代替材料が使用されてゆくのでしょう。想像の域を超えませんが。
エアコンの製造工程の大まかな流れは、下記をご参照ください。
実際に、ダイキンの社長が日経の記事で言及している通り、アルミを原料費圧縮の切り札として利用するには、『銅よりも加工が難しいほか「性能の低下への対処が課題」』なのです。安直に、「AがダメだからB」といった切り替えは適切でないし、そう簡単なものではないようです。
リサイクラー視点で俯瞰すると
スペック追及型の開発なり、過当な価格競争は、業界のどこかに、なんらかの“ひずみ”を生みます。今般の「銅からアルミへの材料変更」にも当てはまりますが、メーカー側としては、競合に1円でも1グラムで秀でたいと思っています。利益を確保するためにも、少しでも材料費を抑えたいと思っているわけです。嫌な言い方ですが、「売れりゃあ、それで良い」のです。
往々にして、新しいモノを売るということは、古いモノを置き換えることを意味します。言い換えれば、古くなったから、新しくするわけです。故障して使えなくなったからかもしれないし、まだ使えるけど、新しいモノの魅力に惹かれたから、置き換えるのです。そうすると、当然、古いモノは捨てられます。
現行の法(家電リサイクル法)の下では、「お金を払って、適正に処分すべし」とあります。エアコン等の身近な家電製品を捨てる場合です。つまり、「誰かが、あたなの代わりに、適切に“それ”をなんらかのかたちで処理して、なにかに再生できるようにして、どうしても再生できないものに関しては、どこかの処分場に持って行ってくれている」のです。
つまり、あなたが新しいエアコンを買うときに“買わされる”リサイクル券は、法律で決められたことを遵守するために、自分一人ではできないことを、どこかの誰かに「適切に処理してもらうサービス」の交換券であるのです。回りくどくなりました。
言うなれば、あなたの捨てたエアコンは、上記で触れた、エアコンの製造工程とは真逆の流れに漂い、多くの人々の手によって小さく小さく分解され、ようやっと製品としての命を終えるのです。そして、またなんらかの金属原料として再生され、製品として組み込まれ、市場の荒波に揉まれる運命をたどります。
勘の鋭い方はもうお気づきかと
結論から言ってしまえば、あなたのエアコンは、「なんらかの原料として売るために加工されている」わけです。“販売”というと、語弊があるかもしれませんが、少なくとも有価で“流通”しているわけです。つまり、例の“リサイクル券”は、厳密にいうと、その“流通”に係るコストに対する費用に充てられます。
また、大げさな言い方をしてしまえば、「原材料としての銅が、悲鳴を上げるほど高騰している」のであれば、「排出された銅のスクラップの価値も、(相場に対しての料率は違えど)それ相応に追随している」ということでもあります。つまり、相場の高騰からメリットを得られるのは、その“リサイクル流通”に従事する人間に限られます。
またまた、下世話なハナシをしてしまえば、銅がアルミに置き換わったら、(相場云々は別にしても、)総体的な“ごみ”の価値は小さくなります。もし仮に、現行の“リサイクル券”の価額が、販管費とスクラップ売却益を考慮した上でのそれだとするならば、今後、“サービス料金”は高くなるかもしれません。
もしかしたら、そうはならないのかもしれませんが、流通サイクルのどこかに“ひずみ”が生まれると、そのサイクルの中にいる誰かに負担がかかります。事業として継続できない事態に陥る可能性だってあります。もし、誰も、その“適正処理”をやれなくなったら、どうしましょう。
考えられるのは、「適正じゃないけど、そのまま埋め立てる」か、「“サービス料金”を是正して、その値段でやってくれる業者に頼む」というオルタナティブな選択です。あとは、非合法に第三世界へ輸出し、「あたかも、そこになかったことにする」という発想もあります。絶対的にあってはなりませんが、これまでも、これからも、法の抜け道を追求するアウトローの存在は、なくなりません。
“寿命”を延ばすためには、発想の抜本的な転換が必要
毎度のごとく、ハナシが長くなってしまいました。そろそろ、筆者の“思い”について明らかにしたいと思います。
筆者は、決して「銅が使われなくなったら、どうしよう」と困り果てているわけではないですし、「アルミに置き換わることを悲観視している」わけでもありません。正直、どうでもいいことです。我々の身近で使われる製品に、どんな金属が使われようとも。
ただ、ひとつ気になっているのは、「“製品の一生”を短絡的に見過ぎではないか」ということです。それは、「表面的な“良さ”を打ち出して、新しい製品を売り続ける」行為が、果たして、我々の生活を“良く”しているのかということに繋がります。もしかしたら、まだ使えるかもしれない。ひとつの部品を修理・アップグレードすれば、“寿命”をもっと延ばしてあげられるかもしれない。
また、大局的な視座で俯瞰すれば、現在の消費サイクルには、廃棄されたあとに、「どうすれば、どこまで資源として再生させることができるのか」という精神がまだまだ不足しています。結局、製造者は、「製品を売ること」が発想の起点であり、しょっぱい言い方をしてしまえば、「お飾り的に、なんとなく“エコ”なことをしておけば…」的な発想に陥りがちだと思います。
エアコンにしてもそうですが、「銅を使うことを前提としたモノづくり」の中で、「少しずつでもいいから、アルミに替えていこうよ」といった中途半端な切り替え方を進めてゆくと、いずれ「なんか割に合わない部分」が突然、ひょこっと顔を出します。
それは、もしかしたら、「アルミの加工性が悪くて、思いの外コストが嵩む」だったりするかもしれませんし、「左記の通り、リサイクル上の採算性が悪いから、どこかに価格転嫁しなければならない」という事態に陥るかもしれません。
いずれにせよ、もし、本当に代替品を模索する必要があるのであれば、「銅を使うことを前提としたモノづくり」からの脱却ないし、製品の“寿命”を再定義するほどのパラダイム・シフトが求められるはずです。筆者は、今後、そういった大きな変革無くして、我々にとっての“豊かな生活”は、維持できないのではないかと考えます。「他人よりも、少しでも秀でた」ところで、持続性のある生活が送れないのであれば、本末転倒です。
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