お金について考えている事
子供の頃、我が家にはあまりお金がありませんでした。
父親は裕福な家の長男として生まれ、
甘やかされて育ち、大人になってもまともに働いたことがなかったようです。
生家を勘当同然で追い出されてからも
定職にはつかず、
母親も働きには出ていなかったため、
我が家は決まった収入がありませんでした。
にも関わらず、父親はお金にだらしなく
時には他人のお金にまで手をつけることもあったようです。
我が家には毎晩のようにサラ金の取り立て屋が来ては、1時間でもドアをノックし続けました。
近所中に鳴り響くノックの音に怯えながら、
私達家族は暗い部屋の隅で息を潜め、取り立て屋が帰るのをひたすら待ちました。
そんな苦労のせいか、逆に母親は常々私に
『お金の貸し借りは絶対ダメ。』、『無駄遣いをしてはいけない。』と厳しく言っていました。
小さい時から両極端な記憶を刷り込まれた私は、物心がついた頃にはお金は汚いものだと
思うようになっていたのです。
金持ちを嫌い、儲け話を嫌い、ギャンブルを嫌いお金にまつわこと全てを忌み嫌いました。
中学生時代、同級生にとてもお金持ちの子がいたのですが、私はただお金持ちと言うだけで
その子のことが大嫌いでした。
やがて大人になり、結婚、出産、育児…
様々な経験を重ね、お金はとても大切な物だと
思うようになりました。
お金は、使い方によっては毒にも薬にもなります。
私は1円たりとも毒にはしたくありません。
でも、これも最近気づいた事ですが、
私が薬だと感じる物も、他の誰かにとっては毒になる場合もあるのです。
例えば、宇宙旅行に行った有名なお金持ちが
宇宙からお金を配ると言った時、
下品な事はやめて、もっと為になる使い方を
して欲しいと言った人がいました。
それを言った人にとっては、宇宙からのお金配りは毒以外の何者でもなかったのでしょう。
でも、私はそのお金持ちを下品だとは思いません。
お金を貰えるかも知れないとワクワクする人、
自分も頑張ってお金持ちなりたいと目標を見つける人。
そんな人達には薬だと思うからです。
価値観の違いから他人を非難したり、自分と同じ価値観を押し付けるのは違うと思うのです。
お金が必要不可欠な物だと分かった今ですが、それでもまだ、心の何処かでお金の話を嫌う自分がいます。
恐れていると言った方が正しいのかも知れません。
それは子供の頃、貧しかった反動で、もし今、
沢山のお金を手にしたら、自分も父親のように歯止めが効かなくなってしまうかも知れないと思うからです。
長年コツコツと働いてきたお陰で、僅かながら蓄えも出来ましたが、私はこの先も
今のままの価値観を貫きたいと思います。
自分にとって薬になる使い方で
お金を大切に、有効に使いたいと思います。