犬の名前はどう付ける?4頭のブリタニースパニエルの命名
あなたの家にかわいい子犬がやって来たら、まず最初に名前を付けてあげなければならない。犬といっても大切な家族だから、きっと悩むことだろう。これから先、何度も何度も口にする名前に、どんな願いを託すのか。私がこれまで生活をともにしてきた4頭のブリタニー・スパニエル犬について、その命名の由来をご紹介する。
初代「アニー」 私を狩猟の世界に案内してくれた名猟犬
ブリタニーはフランス原産の鳥猟犬で、フランス系とアメリカ系に区分される。私が最初に使役した「アニー」(女の子)は典型的な仏系で、オレンジと白の毛並みが美しかった。
当時、私は狩猟を始めたばかり。散弾銃を持っているだけでは鳥の居場所が分からないから、とにかく優秀な猟犬が欲しかった。この子との出会いがなければ、私は1羽の獲物も得られぬまま、早々に銃を手放したかもしれない。俊敏で猟欲旺盛、それに忠実。彼女こそ、理想的な猟犬だった。
初めて触れたブリタニーの子犬は、愛玩犬と見間違うほど愛らしかった。いっそ、女の子らしいキラキラした名前にしようかと思ったが、それでは猟場にふさわしくない。「マーガレット」や「エリザベス」では、呼びにくくて仕方ない。
ぼんやりと散弾銃の解説本を眺めていると、そこに登場したのがアメリカの有名な女性射手「アニー・オークレイ」(1860~1926年)の写真。「これだ!」とばかりに飛びつき、子犬の名前に使わせてもらった。
オハイオ州出身のオークレイは幼い時から銃に親しみ、数々の射撃コンテストで優勝した。西部開拓時代のガンマン「バッファロー・ビル」が主催した「ワイルド・ウェスト・ショー」では、ヒラヒラと舞い落ちるトランプのカードをライフルで撃ち、いくつもの穴を開けたという伝説がある。
私は子犬の名前に「射撃がうまくなりたい」という自らの思いを込め、同時に彼女が百発百中の腕でキジやカモを仕留めることを夢見たのだ。
アニーは私の転勤に付き従い、愛知、長野、岐阜県で4回の引越しを重ねた。彼女はフランスの著名な猟犬を父に持ち、生まれながらに鳥猟が巧みだった。幼いころから訓練を続けたこともあり、猟場で野鳥を探し出す捜索と、確実に回収する運搬能力には目を見張るものがあった。
愛知県内の農業用ため池でコガモを3羽撃ち落とした時には、水際の深い草むらまで泳いで3往復し、すべての獲物を運んだ。猟仲間の間でも「この犬はすごい」と有名だった。
やがて12歳になったアニーは、中日新聞の犬記者になった。岐阜県関市の関支局が中濃版で始めた企画「犬がゆく アニーの中濃駆け歩き」で、取材記者を任されたのだ。
セラピー犬、盲導犬、犬の認知症。動物と人間にまつわるさまざまな話題を取り上げた彼女は読者に愛されたが、急性白血病のため13歳9カ月で死んだ。支局には地元の女性から弔いの花束が届いた。
アニーは死の間際まで、狩猟を続けた。私の大切な相棒だった。
2代目「エマ」 生後7カ月で去った見習い猟犬
仏系ブリタニーの「エマ」はアニーが死ぬ前年の秋、その後継犬として私の家族になった。とても活発で愛らしく、だれとでも遊べるおおらかな女の子だった。
この子の名前は、当時関支局で勤務していた女性記者が付けた。子犬が来たお祝いに酒を飲んでいたら、記者が「私を名付け親にして」と言い出したのだ。酔った勢いで「任せた」と返事をしたら、記者はその場で「エマにする」と笑った。
聞いてみると、この名前はイギリスの女性作家ジェーン・オースティン(1775~1817年)が著した小説「エマ」の主人公からとったという。私はこの物語を読んでいなかったが、女の子らしい優しい響きがとても気に入った。
エマはアニーに連れられ、猟犬と犬記者の修業を始めた。まだ小さいから、まずは「見習い」だ。猟場ではアニーの後をよちよち歩き、連載「犬がゆく」の取材現場を回った。
ボランティアグループによる犬の里親探しの記事では、アニーとエマが飼い主を求める不幸な保護犬のポスターを見つめている。ドッグランの取材では、エマが大きなドーベルマン犬にちょっかいを出して周りの人間をひやひやさせた。
しかし、エマは生後7カ月で交通事故に遭ってしまう。私が関支局の裏庭で遊ばせていた時、近くの道路に飛び出して車にはねられたのだ。一瞬目を離したため、事故が起きた。車はそのまま走り去り、エマは動物病院で間もなく息を引き取った。年老いたアニーが残った。
病院に行く車の中で、必死に私を見上げていたエマが忘れられない。自分の不注意で死なせてしまったとをいつまでも悔いている。オースティンの「エマ」は読む気がしない。幼くして死んだ小さな愛犬を思い出すのがつらいのだ。
3代目「チェリー」 ヤンキー娘が名記者に
米系ブリタニーの「チェリー」は、エマがいなくなった関支局に来た。突然の見習い犬記者の死に打ちのめされていた記者たちは、元気な子犬を迎えて夢中になった。
事務所の机をかじろうが、ごみ箱を荒らそうが、だれも叱らない。いたずらはすべて大目に見て、みんなが「よし、よし」と可愛がった。
「チェリー」と名付けたのは、当時大学生だった私の娘だ。リバー(濃茶)と白の毛並みに、つぶらな瞳。すこし華奢な体格で、甘え上手。娘はみんなを明るくした子犬を、パッと咲くサクラの花に重ねたのだろう。
チェリーはエマに代わって見習い犬記者となり、アニーと一緒に取材に出た。物おじしない性格で、どんな現場にも飛び込んだ。アニーは最初、やんちゃな子犬を迷惑がっていたが、チェリーは何度叱られても先輩犬記者にすり寄ってくる。
最後はアニーが根負けし、チェリーを抱いて眠るようになった。
明るい性格のチェリーは、本業の猟犬よりも犬記者として優れた才能を発揮した。生後7カ月の時にアニーを亡くすと、今度は自分が連載の主役となって活躍した。
関支局の「犬がゆく チェリーの中濃駆け歩き」に続き、岐阜県大垣市の大垣支局で「走れ犬記者 チェリーの西濃ルポ」(西濃版)を開始。
長野県飯田市の飯田支局に転勤すると「走れ犬記者 チェリーの南信ルポ」(南信版)を手掛け、滋賀県大津市の大津支局では「走れ犬記者 チェリーの湖国ルポ」(びわこ版)で人気を集めた。
犬記者シリーズの連載は計125回を数えたが、うち108回をチェリーが担当している。人間と動物の絆に焦点を当てた記事は、彼女なしには成り立たなかっただろう。
そんなチェリーは病気のため、14歳4カ月で虹の橋に旅立ってしまった。私は今も、彼女のことを思い出す。底抜けに陽気で、思いやりのあるブリタニーだった。もしも彼女がいなかったら、私は転勤続きの根無し草のような生活を耐えることができただろうか。
犬はいつでも飼い主のそばを離れず、無条件で愛してくれる。
「チェリー」は、咲き誇るサクラのように心を晴れやかにし、明日への希望を与えてくれた。
4代目「マイヤー」自分、猟犬ですから
仏系ブリタニーの「マイヤー」は、初めての男の子だ。血統書を見ると、初代アニーと2代目エマの親戚だから、猟犬の中では名家の出身といえるだろう。
先代のチェリーを失ってから3カ月。この子は私の家族になった。太い骨格に、ふてぶてしい表情。当時、ペットロスのどん底にあった妻でさえ、初めて会った時には「なんて可愛げのない子だろう」と思ったという。
名前の由来は、第2次世界大戦で勇名を馳せたドイツの軍人クルト・マイヤー(1910~1961年)である。
元警察官だったマイヤーは開戦後、ポーランド戦やバルカン作戦、バルバロッサ作戦などに指揮官として参加。1944年6月には、第12SS装甲師団長となり、連合軍相手に激しい戦いを繰り広げた。
常に最前線に立つマイヤーは「パンツァーマイヤー」とも「韋駄天マイヤー」とも呼ばれた。パンツァーは戦車や装甲を意味する。
チェリーを失ったばかりの私は、子犬がただ元気に成長し、いつまでも長生きしてくれることを祈った。犬の命名としてはいささか変わっているかもしれないが、ほかには考えられなかった。
マイヤーが家に来た時、私は岐阜県郡上市に住んでいた。郡上は福井県境に近く、険しい山々に囲まれている。雪が多く、10カ所ものスキー場があった。世界遺産に登録された「郡上おどり」や、清流長良川でも有名だ。
マイヤーは幼いころから、毎日猟の訓練に出た。なにしろ山の中だから、猟場には困らない。ヤマドリが出ると、ほとんど垂直の崖を駆けのぼり、執念深く追跡した。
足が速くて体力があり、獲物を確実に追い詰める。山から山へと走る姿は「韋駄天マイヤー」そのものだ。子犬は立派な猟犬になり、引っ越した高知県でも林道を走り回っている。
マイヤーは顔に似合わず甘えん坊で、夜は私のベッドで眠る。
そんな姿を見ると、つい「マイ君」とか「マーヤ」と口走ってしまう。
先輩犬3頭は犬記者の仕事をしたが、彼は狩猟が専門だ。
違う名前で呼ばれても「自分、マイヤーですから」と、振り向きもしない。
犬の名前には魂が宿る。
「アニー」「エマ」「チェリー」「マイヤー」。私はこれまで、大切な愛犬の名を何度呼んできただろう。猟場で声が枯れるほど叫んだこともあれば、とびきり優しく呼びかけたこともある。
犬だからといって、適当に名付けてはいけない。その子にふさわしい名前を考えてほしい。以前、長年犬を飼い続ける80代の女性を訪ねたら、犬の名前がすべて「エス」だと聞いて絶句したことがある。
犬も人間も限られた時間を生きている。名前を口にするだけで、その子と暮らした思い出がよみがえる。犬は人間の最良の友だから、いつまでも忘れることがない名前を付けてやりたい。子犬の瞳をのぞみこみ、その魂を込めて。