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世界最速の「白鳥おどり」5 その魅力に迫る
「なんだ、これは?」ー7年前の夏。郡上市白鳥町の「白鳥おどり」を初めて取材した夜、カメラを手に路上で立ち尽くした。自分が今まで経験した盆踊りとは全く違う。「白鳥マンボ」の別名があることは知っていたが、
アップテンポな曲は盆踊りの枠をはるかに超えて激しい。「世界最速」の表現は誇張ではない。そこには、妖しいエネルギーに満ちた踊りの輪がある。
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白鳥町は長良川上流部の小さな町だ。周囲は山で囲まれ、冬は雪に見舞われる。中日新聞白鳥通信部に勤務していた時は、毎日のように雪かきに追われた。
白鳥はもともと、白山信仰の拠点として発展した町である。白山は富士山、立山と並ぶ三霊山のひとつであり、平安時代には登拝者が集まる「美濃馬場」が置かれた。当時のにぎわいは「山に千人」「麓に千人」「登り千人」という言葉で伝えられる。
全国から訪れる人たちは、白鳥に念仏踊りや歌念仏をもたらした。そこから踊りが成立し、400年以上の歴史がある「拝殿踊り」となった。他の盆踊りのようなおはやしはない。音頭取りの声と、下駄を踏み鳴らすリズムだけで楽しむ静かな踊りである。
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終戦後間もなく結成された白鳥踊り保存会は、拝殿踊りの中から「老坂」「シッチョイ」「猫の子」など7曲を選んでおはやしを付けた。これが「町おどり」であり、昭和30~40年代にかけて中心街で盛んになった。もちろん、拝殿踊りも継承されている。白鳥には全く性格が異なる二つの盆踊りがあるのだ。
拝殿踊りが「静」だとすれば、町踊りは「動」である。建物の中で楽しむ拝殿踊りは、振りが小さく、所作は美しい。保存会のベテランは「肩で踊れ」といい、コンパクトで整った印象がある。
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これに対し、町踊りは振りが大きく、自由度が高い。「世栄」「神代」といった曲はおはやしのテンポが速く、踊り子は自分なりの振りで踊ることがある。
とくに有名な「世栄」は1秒ごとに加速し、最後は音頭取りの文句さえ聞き取れなくなる。熱狂した若者は通りを走り、仲間と一緒に飛び跳ねる。
最初に見た時は「ここはクラブか」と驚いた。興味がある方は、YouTubeで検索してほしい。登場する動画は早回しではない。これこそが白鳥踊りの真骨頂なのだ。
町踊りは自由な雰囲気がある。若者たちが一部の振り付けを崩すようになり、時を追うごとに先鋭化したのだろう。「炭坑節」とか「東京音頭」に親しんできた人は、きっと面食らうはずだ。生き物のように進化し、独自の世界を創り出したのが「白鳥おどり」最大の特徴である。
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白鳥おどりを語る上で、忘れられない史実に「郡上一揆」がある。
江戸時代の宝暦年間に起きた一揆では、年貢の取り立てを強行しようとした郡上藩に対し、農民が蜂起。命がけの闘争や幕府に対する直訴などを繰り返し、藩主の金森頼錦を退陣に追い込んだ。幕府高官も処分され、農民側が勝利した唯一の一揆される。
ただ、農民側の代償も大きく、打ち首、獄門14人、遠島追放5人、獄中死16人余の犠牲者を出した。一揆の中心となったのは、現在の白鳥町や隣接する高鷲町の若者たちだった。
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白鳥町の人たちは、郡上一揆を題材にした「郡上宝暦義民太鼓」を伝えている。白鳥おどりでは、発祥祭と徹夜おどりに合わせ、計3回披露される。
義民太鼓保存会の人たちは野良着に仮面を着け「農民決起」「直訴」「歩岐島騒動」「天下泰平」の4場からなる物語を繰り広げる。
一揆に参加したのは、この人たちの祖先なのだ。私は義民太鼓を取材する度、会場のどこかに一揆で命を落とした人たちの亡霊がいるような気がしてならなかった。考えてみれば、お盆には先祖の霊が帰ってくるのだ。江戸時代の農民たちが、現代の若者に交じって踊っていても不思議はない。
ちなみに、舞台の後方にあるのは「傘連判状」だ。農民たちは決起の際、首謀者を隠すために円形に名を連らね、結束を誓った。
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白山信仰と郡上一揆。白鳥おどりは地域の歴史に深く根差しながら、変化を遂げてきた。
しかし、拝殿踊りでも町踊りでも、会場には霊を導く「切子灯篭」が必ず掲げられる。踊り子は祖先の霊に見守られながら、昔からの盆踊りに時を忘れる。みんな気づかないうちに、霊を背負っているのかもしれない。
単なるイベントとは違う。土地に刻まれた記憶が、踊り子を駆り立てる。
白鳥おどりの魅力は、そこにあるのだろう。
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私が暮らす高知県には「よさこい祭り」、隣の徳島県には「阿波おどり」があり、白鳥おどりとは比べ物にならない数の観光客を呼びよせている。
しかし、私はどちらの祭りにもそんなに魅力を感じない。多人数のチームが一糸乱れぬ踊りを披露するだけで、一般の人間が自由に踊る余地が全くないからだ。
厳しく規制された会場に行き、楽しそうに踊る人たちをただ見物する。高い席料を払ってまで、他人の踊りなど見たくはない。
白鳥おどりに難しいルールはない。浴衣だろうが、普段着だろうが、だれもが踊りの輪に入れる。振りが分からなければ、隣の人を真似すればいい。1時間もすれば、必ず踊れるようになる。
私は来年の夏も、白鳥に帰るだろう。まだまだ知名度が低い「白鳥おどり」だが、一人でも多くの人たちがその魅力に触れることを祈っている。