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謎の「唐人駄場遺跡」を探る。足摺岬の巨石群の正体は?

 高知県の代表的な観光地として知られる足摺岬。太平洋に突き出した断崖に続く台地に、魔訶不思議な巨石が群立する「唐人駄場遺跡」がある。250を超える巨石は昔から「唐人石」と呼ばれ、ストーンサークル(環状列石)も存在するのだとか。高知最南端の岬を訪れ、謎に包まれた遺跡を歩いた。


有名な足摺岬の灯台。多くの観光客を魅了する。

知る人ぞ知るミステリースポット

 高知県土佐清水市の足摺岬は、1年を通して多くの観光客でにぎわう。四国八十八ケ所の第38番札所「金剛福寺」もあることから、遍路の姿も途絶えることがない。荒々しい海と絶壁、それに白い灯台は、高知県を代表する景観といえるだろう。
 唐人駄場遺跡は土佐清水市中心街から県道348号を南下し、岬先端に向かう途中で山中に入った場所に広がる。分岐点から2キロほど。馬が放牧された「足摺牧場」を通り過ぎると、左手に遺跡が見えてくる。
 

巨石群が見られる唐人駄場遺跡の入り口。訪れる人は少ない。

  足摺岬は海と絶壁のイメージが強すぎるのか。ほとんどの観光客は、岬の先端部を巡る散策路を歩いただけで立ち去ってしまう。少々不便な山中でもあり、遺跡まで来る人は数少ない。  私自身も高知出身でありながら、この地を訪れたのは初めてだ。
 土佐清水市などによると、遺跡では縄文早期(約7000年前)の耳飾はじめ石斧、石鏃などが出土した。縄文、弥生時代の土器片なども見つかり、原始、古代から人が住んでいたことを示している。
 人々は海で魚貝、山で獣を獲って生きていた。いくつもの空間を創り出す巨石群は自然が与えた「ビル」(建物)であり、もの見の塔や城塞としても役立てたことが想像されるという。
 「唐人」は光り輝く神の居場所、「駄場」は平たい土地という意味がある。黒潮の海を航海する人にとって、唐人駄場は頼りになる目印のひとつだった。

円形状に岩が並ぶ「南のサークル」

次々に現れる巨石。道は古代につながる。

 遺跡に着いてすぐ、道路わきに「南のサークル」があった。これは「ストーンサークル」と呼ばれ、2つの巨石を取り巻くように円形状に石が配置されている。中心の石には加工した跡があるという。


遊歩道にせり出した巨石。

 正直なところ、遺跡に来るまではたいして期待はしていなかった。南のサークルを見ても、心の中で「ただ岩がごろごろしているだけじゃないか」と思ったほどだ。
 しかし、雑木林の中の遊歩道を進むうち、そんな不届きな気持ちは消し飛んでいった。なにしろ、スケールが大きいのである。
 大きな岩だと高さ10メートルを超えているだろう。
 あるものは奇怪な石柱のようにそそり立ち、あるものは危ういバランスで宙に突き出している。形状、大きさともさまざまで、まるで神が岩を積んで遊んだかのようだ。次々に出現する巨石を間近にすると、何だか気がたかぶってきた。 
 以前、岩手県遠野市で「続石」という奇石を見たことがあるが、ここはレベルが違う。山全体が巨石で覆われ、独特の神がかった雰囲気が漂う。南国の明るい太陽に照らされながら、空気までが冷たい。


台地を覆う花崗岩。複雑な地形をつくっている。


今にも崩れ落ちそうな巨石。



千畳敷石。ここで巫女たちが踊った?

切り立った千畳敷石。足場を渡って登る。

 巨石にはその特徴によって「亀石」「鏡石」といった名前が付けられている。上部の面積が最も広い岩は「千畳敷石」とされ、足場を渡って上に登ることができた。
 ここからは、山々の向こうに太平洋が一望できる。黒潮が近づいた時には、その流れがはっきり見えるという。
 巨石の上部は傾いているが、緩やかで危険は感じない。座敷なら、ざっと十五畳といったところか。奥に進むと石に亀裂があり、「この先は危険」という注意書きが目に入った。
 
 

千畳敷石の上部。古代の舞台だったのか。

 案内看板によれば、千畳敷石は巫女たちが奉納神楽を舞った場所とされ、「神楽岩」の別名がある。
 確かに、この場所なら神事を執り行うのにうってつけだろう。人々は自然の偉大さを肌で感じながら、神に感謝の言葉をささげたに違いない。

千畳敷から太平洋を眺める。遠くで海と空が一体になる。

生活の場としての遺跡。砦の役割も果たしたか。


巨石をくぐり抜ける通路。犬でも苦労する狭さ。

 唐人駄場の巨石群は複雑に入り組み、台地を登る者を阻んでいる。手がかりのない巨石を乗り越えることは難しく、それ自体が砦の壁の役目を果たしている。
 急斜面の山肌に刻まれた遊歩道をたどっていると、場所によっては巨石と巨石の間が幅50センチ足らずしかない。もしも、古代の人たちが戦うとしたら、ここは絶好の防御拠点だったろう。
 高い巨石の上で敵の動きを見張り、攻めて来たら狭い通路で食い止める。
巨石の下の空間は、雨や風をしのぐのに役立つ。巨石群を「ビル」にたとえた大胆な仮説は、実際に現地を見ると説得力を持つ。
 小規模なストーンサークルはともかく、これだけの巨石を人間の力で動かせたとは考えられない。たとえ現代の重機を持ち込んだとしても、山中での作業は困難を極める。
 人々は自然が生み出した巨石を巧みに生かし、信仰や生活、戦いの場として利用したのだろう。一部の巨石に加工した跡が見られるのは、その時代を生きた人たちが後世に自分たちの存在を伝えようとした結果かもしれない。

堂々とそびえる巨石。大昔から人間を圧倒してきた。

自然とともに生きる。先祖が残した教訓。

 唐人駄場遺跡を訪れた前夜、私は近くにある「唐人駄場園地」のキャンプ場で車中泊をした。ほかに利用者はなく、私と愛犬だけで眠った。
 付近に民家はない。月の光だけが山を照らし、木々の下の闇はどこまでも深い。深夜、愛犬が突然起き上がり、車の窓から顔を出して激しく吠えた。
 慌ててライトを当ててみたが、なにも見えない。イノシシかタヌキでも出たのだろうか。キャンプ場は静まりかえっている。
 整備されたキャンプ場で、車中泊をしていても、闇はやはり怖い。私の体内に含まれたDNAの中には、巨石群の中で夜を過ごした祖先の記憶が潜んでいるのかもしれない。



刃物のような断面を見せる巨石。
唐人駄場遺跡近くのキャンプ場。無料で利用できる。



 





 


 
 

 


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