『孤独か、それに等しいもの』
ぼくは双子で、ひとりぼっちって感じたことないんだ。
双子の片割れはもう一人の自分なんかじゃなくて、二人で一つ。
双子の片割れは鏡に映った自分なんかじゃなくて、二人で一つ。
ぼくらを例えるなら、コーヒーカップとソーサー。
それぞれ別のもの。だけど、一緒にいて、初めて一つの機能を果たす。
そんな感じ。
カップだけでも、一応は成り立つし、
ソーサーだけでも、一応は成り立つ。
だけど、やっぱり、カップとソーサー、
二つが揃って初めて本来の姿がわかる。
コーヒーカップとそのソーサーなんだと、
初めてその役目がわかる。
そんな感じ。
片割れがカップ、
ぼくがソーサー。
ぼくはそう感じてた。
ぼくはいなくても、とりあえず、なんとかなる。
だけど、やっぱり、ソーサーがないと“コーヒーカップ”ではない。
どちらか片方だけだと、きっと、意味を取り違える。
そんな感じ。
だけど、片割れよりもぼくが片割れを必要としてた。
だって、ぼくはソーサー。
ぼくが“コーヒーカップ”なのだとわかってもらうには、必ず、カップが必要だから。ぼくだけだったら、きっと、ぼくという存在の根本を間違えられたままだった。
そんな感じ。
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高校生の図書室にあった 『孤独か、それに等しいもの』。
それを初めて読んだ時の気持ちはどんなものであったか、もうはっきりとしない。だけど、内容だけは心に焼きついて、また読み返したいと思っていた。
でも、タイトルを忘れてしまって探すこともできなかった。
それを再び手に取ることができたのは、高校を卒業して10年も経った後のこと。
神保町を歩いていて見かけた本に惹かれて、中身も開かず持ち帰った。
その本があの本だと気づいたのはその日の夜。
一ページ目を読み始めてすぐのこと。
その時の気持ちは、今でもはっきり覚えている。
“孤独か、それに等しいもの”
それはきっと、双子にしかわからないもの。
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ぼくはようやく、ぼくひとりで耐えてきたものに気がついた。
同じように育ち、同じように考え、同じように感じてきたそのものが…いや、初めから、そもそもが違う、それはわかっていたんだ。
ぼくと片割れは違う。
そんなの初めから、わかってた。
ぼくらは双子だけど、二卵性。全く同一のものではない。
ただ、限りになく共有しているものが多かった。膝の形、橈骨と尺骨がわかるほどの腕の細さ、美術の時間の絵の発想、「良い天気だね」そう言われても「そうだね」で会話が終了しちゃう会話力のなさ…ほとんど重なり合っていた。けれども、微妙にずれている。他の人からしたら、“同じようなもの”だったらしいけど、ぼくらからしたら、そもそもが別の存在。どうして周りがその違いの区別がつかないのか、本当に不思議だった。
だって、全然違う。
片割れの方が素直で、ぼくは意地っ張り。
片割れの方が鈍感で、ぼくは気にしすぎ。
片割れの方が寛容で、ぼくはケチんぼ。
片割れの方が几帳面で、ぼくは大雑把。
片割れは素直に「あっ!あれ美味しそう!」って口に出し、ぼくは「気のせいでしょ」って自分の気持ちを置いてきた。
片割れは一度眠ったら何があっても起きなくて、ぼくはちょっとでも物音がしたら目が覚めた。片割れは寝るのが上手。勉強も何時間もぶっ続けで取り組める。ぼくはだめ。途中ですぐに眠くなっちゃう。ぼくの成績はいつも片割れよりちょっと下。ぼくのできることは、片割れの方がずっとちゃんとできた。ぼくは、片割れが“できる人” だ か ら、ぼくも“そうだろう”って思われてただけ。ぼくは見掛け倒しのぽんこつ。
片割れは例え普通の格好をしていても“何だか変”で、その存在はわかりやすいくらい独特。片割れは黒いコートを着ても何だか間抜けで、ぼくが黒いコートを着ると、まるでマフィアみたいでカッコ良い!って言われた。
本当、そう見えるだけ。
中身はあやふや。
でも、片割れとぼくの根本的な違いはそこじゃない。
片割れはそもそも自分が“何か”、わかっていた。
ぼくは自分が“何か”、全くわかっていなかった。
片割れは素直に自分は“こうだ”ってわかってた。
ぼくは理屈で考え“そもそも”を勘違いしていた。
ぼくは、自分の気持ちがなぜ悲しんでいるのか、
はなから自分の声を聴くつもりなんてなかった。
聞いたところで、どうしようもないことだから。
そう勝手に決めつけて置いてけぼりにしてきた。
だから、片割れには手を取ってくれる人が現れたけど、ぼくにはいない。
だけど、別にそれで良かった。別にぼくは要らないから。ぼくは、手を掴まれたら、掴んだやつ、きらいになるから。絶対に。ぼくの手を掴もうとする行為そのものが迷惑だったから。
けど、片割れには手を掴んでくれる人が必要だった。ぼくはその手を掴んでた。掴んでいるために一緒に生まれたから。だから、片割れに相方ができた時、もうぼくは要らないなって思った。ぼくは自由。ふらふらと、どこへでも行けるようになった。
片割れは、相変わらずぼくの片割れのままだったけど、『カップさえあれば、とりあえず大丈夫だよね!』って、ソーサーのぼくは勝手に勘違いして、ソーサーの別の使い道を探し歩いてた。
だけど、どれも違和感しかなくて、『何かをそもそも勘違いしてる』って、はっきりと気がついた時、カップが言ったんだ。
「ソーサー、必要なんだけど」
本当、ぼくはあほうだった。
最初から、ぼくはちゃんと“コーヒーカップ”のソーサーで、カップの“ついで”なんかじゃなかった。
ただただぼくは、ちゃんと“コーヒーカップ”の“対”だったんだ。
片割れの相方もあきれてた。
「えっ?これ、レイちゃんの分だよ?一緒に食べるでしょ?」
ぼくらは、本来「孤独」ではないものに「孤独」という名前をつけているだけなのかもしれない…