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「男なの?女なの?」と姪っ子から時折質問されてたんだけど、ある一言でとりあえずわかってもらえたっぽい話
例えば、小さな子どもたちが自分よりも年上の人に対してどう呼びかけるか?って言えば、「お兄ちゃん」か「お姉ちゃん」だと思うんだ。この場合「ちゃん」でも「さん」でもどっちでもいいし、「おじちゃん・おばちゃん」でも「おじいちゃん・おばあちゃん」でもいいけど、つまりそれらの言葉が意味することは「目の前にいる相手は、男or女」っていうことじゃん。相手が男か女かを逐一確認し、気にする世間一般のそうしたメッセージをビンビンに受け取っていた幼い姪っ子からすれば、ぼくの存在を不思議に感じたとしても当然だよねって思う。
どう答えたもんかな〜って思ってさ。最初は「女の子ってどういう意味?」って聞いてみたり、「ノンバイナリーだよ」って言ってみたりしたけど、「ノンバイナリー」なんて大和言葉ないから「男女」の対にはなりえず、理解できないじゃん。姪っ子としては納得いかないから、ちょくちょく折々に聞いてきたんだけど、そのうち聞かれる頻度も減っていっていたある日。姪っ子がぼくとばあば(ぼくの母)と三人でいるときに質問してきた。
「結局、男なの?女なの?」。
母にはカムアウトしていたけど、内心、「今かーい!」ってちょい焦ったよね。なんと答えたもんかと思案していたら、なんと母が助け舟を出してくれた。
「あのね、男か?女か?じゃなくて、人間なの。男でも女でもどっちでもない、ただの“人“なの。わかる?」
おおぉぉぉ、、、なんて的確かつ日本語としてもスマートな回答だろう。カムアウトしていたとはいえ、母がちゃんとわかってくれていたことに感動しつつ、母をみくびっていたなと反省しつつ、「そうそう!ほら、どっからどうみても“人“でしょ?」と姪っ子に説明。それからピッタリと全く聞かれなくなった。
本当は、「人間・人」という回答は大きすぎて正確ではないとは思う。だけど、ジェンダーに限らず「なにはともあれ、この人は自分と同じ人間だ」という認識を持つことは人間関係全てのベースとなる大事な感覚だと思う。性の話も絡んでくるジェンダーの込み入った話はもっと大きくなっていくうちに理解していけばいいことで、幼い頃は「男とか女じゃなくて、この人はとにかく人間なんだー」と思ってもらえたら十分だと思う。
悪意なく大半の人々が疑問の余地も挟まない「人間は男か女のどちらかだ」という認識は、「男か女でいなければ、ひとりの人間として扱ってもらえないんだな・・・」って思うのに十分だったからさ。